5月31日、マツダスタジアムで行われた阪神vs広島戦は、阪神が2-0で勝利。
先発・大竹耕太郎は8回途中まで無失点、チームはマツダでの快進撃を継続した。
木浪・大山のタイムリーが光り、接戦を着実にものにした。
だが、この日の物語は「勝った・負けた」だけでは終わらない。
SNSで“元気な自分”を演じてきたひとりの女性が、観戦を通して心に小さな変化を見つけた——
春が追いついた~阪神タイガース観戦記2025年5月31日~
「なんでそんなシュッとした格好してるんすか」
新大阪発、7時48分の新幹線。
向かいの席で美咲が笑いながら言う。
うちの職場の後輩で、4つ下。
整形外科クリニックの受付で働いていて、患者さんにやたら好かれる“ええ子枠”や。
彼女ははやくも、レプリカユニにキャップ、トートにはトラッキーのぬいぐるみまで。気合の入った観戦スタイル。
私はというと、同じく受付で働く東奈緒(ひがし・なお)。ベージュのシャツに黒のパンツ。どこにでもいそうな街着。
「観光がメインやからな」
「いやいや、今日のためにチケット取ったくせに何言うてるんすか」
あはは、と笑い合う。
でも、売店で買ったコーヒーの味はいつもより苦く感じた。
もう5月も終わりや。
何もないまま、春が通り過ぎた感じ。
カレンダーは進んでるのに、自分だけ取り残されてる気がしてた。
マツダスタジアムに着いたのは、開門直後。
試合開始までまだ1時間以上あるのに、スタンドはすでに赤の洪水や。
「すご〜。え、あそこビジターやんな?めっちゃ人おるやん」
美咲が興奮気味に指差す。
私は、黙ってうなずいた。
実はこの席、彼氏と来るはずやった。
まあ、いまは“元彼”やけど。
チケットだけ残って、それをキャンセルするのも癪で、美咲に声をかけた。
ほんまは、ちょっとだけ気持ちを切り替えたかってん。
でもそれを言うと、“元気なキャラ”を脱ぐみたいやし、黙っておいた。
「先輩って、ほんま、明るいキャラ貫いてますよね」
「は? なに急に」
「いやいや、褒めてますって。受付でも、先生にも看護師さんにも愛想よくて、SNSもずっと明るいし。
たぶん誰にも“しんどそうやな”って思われたことないんちゃいます?」
その無邪気な口調に、私はちょっとだけ黙り込んだ。
「そら、まあ……うちら、空気で食べてる仕事やからな」
「受付って、ほんまに空気読み勝負っすよね」
「待ち時間の文句も予約トラブルも、まずうちらに飛んでくるし。
患者さんには“いつも元気やねえ”って言われるように笑っとかなあかんし、
看護師と先生の機嫌まで受付がコントロールしてるようなもんや」
「…たしかに、たまに空気止まったらすぐ怒られますもんね」
「せやろ? でも外から見たら“受付って楽そう”って言われんねんで。びっくりするやろ」
「ほんまそれ。キレていいやつです」
美咲がぺこっと頭を下げて笑った。
私も笑ったけど、そのあとふっと沈んだ。
「なんか、最近ちょっとしんどくてな。
無理して元気に見せるのって、思ったよりしんどいねん」
言葉のあと、自分の声が思ったより素直すぎて少し驚いた。
私は黙って紙コップを持ち直す。泡は、もう消えていた。
「せやから今日はな、ちょっとぐらい、元気ない顔しててもええかなって」
開門からしばらくして、いよいよ選手紹介が始まった。
ビジョンに映る先発メンバーを見た瞬間、美咲が言う。
「え、今日って大竹と床田なん?昨日の村上と森下に続いて、また投手対決やん」
スタメンを見ながら美咲が笑う。
「そんなんファンとしては最高ちゃう? 野球って球速だけやないなって思わされるで」
私はそう返したけど、正直ちょっと不安もあった。
カープに強いとはいえ、大竹がどこまで抑えられるか。
あまりにもマツダで負け知らずやと、それが逆に怖くなる時もある。
そんな大竹が、3回に1・3塁のピンチを迎えた。
中村のスリーベースに、菊池の四球。
打席にはファビアン——打たせたくない相手や。
「いや、ここでファビアンって…えぐない?」
美咲が珍しく声を落とす。私も息を呑んだ。
でもそのファビアンが、あっさり打ち上げてピンチ脱出。
「……よかったー。もうこんな心臓に悪い場面、月イチでええわ」
「それな。今ので寿命2年縮んだ気する」
そして試合がようやく動いたのは5回。
ヘルナンデスのヒットから、木浪がセンターへ痛烈な2ベース。
「きた!…てか、ヒット見るの久々すぎん?」
「ほんまに。なんかスコアレスで眠たなるとこやったわ」
追加点がなかなか取れず膠着したまま迎えた8回。
大竹が打席に立ったとき、美咲が言った。
「まだ投げるんや…すご。床田もまだやろ?」
「お互いに“自分の試合”やってる感あるよな。意地感じるわ」
その裏、カープの代打・堂林に2ベースを打たれたところで大竹は降板。
湯浅がマウンドに上がり、見事に切り抜けた。
そして迎えた9回、中野が放ったスリーベースに、
大山のタイムリーが続いて——待望の追加点。
「うわ、ほんま大山って“背中で引っ張る”タイプよなあ」
「わかる。大山のタイムリーって、なんか安心する」
試合が終わったあとも、まわりの阪神ファンはしばらく誰も立ち上がらなかった。
大きな声援と、しっかりとした拍手が続いてた。
たぶん、みんな「よう耐えて、よう勝った」って思ってたんやと思う。
一呼吸置いてから、私たちは席を離れた。
スタジアムの灯りが背中の方で遠ざかっていく。
私は、美咲の歩幅に少しだけ合わせながら言った。
「ずっと笑ってるだけやと、たまに自分がどこにおるか分からんくなるな」
「えっ?」
「でも今日は、ちゃんと歩けた気がする。ちょっとだけ、素の顔で」
美咲は一瞬だけ黙って、少し照れたように笑った。
「……先輩、いまもふつうに、ええ顔してますけどね?」
「そっか」って返して笑ったら、
なんや、ほんまにちょっと心が戻ってきた気がした。
「なあ、美咲。せっかく泊まりやし、流川あたりでなんか美味しいもん探そか」
「わっ、それ最高です。夜の広島、まだまだこれからっすね」
「うちはな、お好み焼きとビールあったら、それだけでよう頑張れる気がするねん」
「じゃあ……先輩のおごりで、いいですか?」
「1杯だけやで?」
笑いながら歩いた足元に、
今年の春が、ようやく追いついてきた気がした。
2025年5月31日(土)|マツダスタジアム
阪神 2−0 広島
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