美容師として神戸で働く38歳の高垣修司。 広島在住の旧友・安藤に誘われ、マツダスタジアムへ。 真っ赤に染まるスタンドの中で、出せなかった“黄色”。 その意味を、自分の中で問い直す旅になった。
染まらなかった黄色 〜阪神タイガース観戦記 2025年5月30日〜
3月の終わりに、LINEが届いた。
「5月30日、マツダで阪神戦。行かん?」
送り主は安藤貢。大阪の美容専門学校時代の同期や。
卒業してからもう15年。 お互い、なんやかやで2年に一度くらいは顔を合わせとる。 会えばそれなりに喋るし、帰ればしばらく連絡せぇへん。 切れそうで切れんまま、細く続いてる。そういう関係も、ある。
“阪神戦”って入ってる時点で、こっちの趣味をちゃんと覚えてたのが妙に嬉しかった。 ただ、場所が広島って知って、正直ちょっと悩んだ。 阪神ファンがマツダ行って、肩身狭い思いせぇへんか?って。
でもまあ、せっかくのお誘いやし、ええか。 シフト調整して、一泊だけ予定を空けた。
当日、広島駅に着いたのは、午後2時ちょっと前。 新幹線の車内でちょっと寝たせいか、ぼんやりしたまま改札を抜けた。
昼を食べそびれてたから、近くの立ち食いそばの店に入る。 食券機の横に、お好み焼きののぼりが出てた。
その瞬間、ふと思い出した。 安藤って昔、大阪ではネギ焼きしか食べへん言うてたな――って。 なんか、よう分からんけどおもろくて、ひとりで笑ってしもた。
マツダスタジアムの入り口で合流した安藤は、ちょっと焼けてた。
「久しぶりじゃの、相変わらず痩せんタイプじゃのう?」
「お前にだけは言われたないわ」
握手とか抱き合うとか、そんな歳でも関係でもない。 けど、なんか…普通に戻れるのが不思議やった。
「今日は完全アウェーじゃけど、最後までおってくれや」
「そっちが誘ったんやろ。帰る言うたら怒られるやん」
チケットは安藤が手配してくれてて、一塁側のカープ応援席。 もちろん、阪神のユニは着られへん。 鞄の中に大山のユニフォームと、黄色いタオルをそっと忍ばせて、それも出さんまま座った。
真っ赤に染まったスタンドに飲み込まれながら、 自分の“色”がここでは浮くんやろなって、あたりまえのことを思った。
2回裏、カープは坂倉とモンテロのツーベースで1点を先制。 スタンド全体が波のように揺れて、太鼓と歓声が混ざる中で、ふと身体が縮こまった。
「はあ」思わず出たため息に、前の席のカープファンの男が振り返る気配があって、気疲れした。
周りは赤一色。赤という色の力だろうか。やっぱり威圧感がすごい。 安藤もちゃっかり隣で赤いユニフォームに袖を通している。 この状況で大山のユニフォームは取り出せなかったが、 真っ赤に染まったスタンドに飲み込まれながら、せめて流されるのはやめようと軽く誓う。
5回表、阪神の攻撃。
近本がセンター前に運んだ瞬間、無意識に声が出た。
「よっ……」 またさっきの男が、ちらりとこっちを見た気がして、汗が耳の後ろを伝った。
続く中野もヒット。森下が打ち上げた打球は、名手・矢野のグラブをすり抜けて、芝に落ちた。 まさかの失点に、赤いスタンドがざわつく。 でも俺は──何もできへんかった。 タオルに手が伸びそうになったけど、グッと堪えた。
「この気持ち、どこにも出されへんって、なんやねん」 横では安藤がぶすっとした表情で腕を組んでいた。当然かける言葉も見つからない。
勝ってるのに、浮いてるみたいで。 喜びたいのに、なんか居場所が見つからなかった。
「村上って、めちゃええピッチャーじゃ」安藤が呟く。
「いや、森下かってすごいよ」
村上は7回まで、カープ打線を3安打に抑える安定のピッチング。 一方カープ森下も粘り強くマウンドを守る。
勝ち負けはあるけど、敬意は払える年齢になった。 そんな話を、あいつとできることが少し嬉しかった。
9回表、阪神は熊谷の出塁を足がかりに、 1アウト2、3塁のチャンスで代打・豊田がセンターへタイムリーツーベース。 追加点が入り、勝負は決まった。
「豊田もようやっとるのう」
「いや、カープの末包もすごいですやん」
お互いのチームをちょっと褒めて、ちょっと突き放して。 そんなやりとりが、今の俺たちにちょうどいい。 大人の会話ができている。
試合後、広島駅近くのお好み焼き屋に入った。
ビールを一口あおいでから、ふと安藤が言った。
「子どもはまだおらんけど、嫁さんとふたりで店やっとるんよ。まあ、楽じゃないけぇね」
「夫婦でやっとんか。ええやん、自由ききそうやし」
「そっちは? まだ、あのチェーン?」
「せやな。もう12年。副店長やけど、まあ…いつまでおれるかは、わからん」
「それもまた、ええじゃろ」
笑いながら言い合った“ええやん”は、 たぶん、お互いちょっとだけ羨ましかっただけや。
どっちが上でも、どっちが正解でもない。 染まったわけでも、染められたわけでもなく、 自分で選んだ道を、それぞれで歩いてきただけや。
安藤が言う。
「今日はマツダに、飲み込まれんかったのう」
「いや十分飲み込まれたわ、カープファンも熱いな……けど染まらへんかったわ」
ホテルまでの帰り道。 カープの赤に囲まれた時間を思い返しながら、カバンを肩にかけ直した。
中には、出すことのなかったユニフォームとタオルが、そっとしまわれたままや。
黄色いタオルは、結局、出さんままやった。 けど、今日はそれでええと思えた。
誰かに見せるためやないし、 あれは、俺が持っときたかっただけの俺の黄色やから。
【今日のスコア】阪神 5 – 2 広島
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