中学2年の奏太にとって、父親と会うのは年にたった1回。
場所はいつも、甲子園。
チケット代も交通費も高いのに、関東に住む父は、
毎年欠かさず会いに来てくれる。
ただ、昔の父は笑わなかった。
だからこそ、今の姿が、少しだけ不思議で――
“親の事情”の向こう側にあるやさしさを、今日、彼は知った。
年に一度の応援団 〜阪神タイガース観戦記 2025年5月18日〜
年にいっぺんだけ、ちゃんと“親子”になれる日がある。 それが、甲子園での阪神戦。
上田奏太、中学2年。阿倍野の公立中に通ってる。 母ちゃんとふたり暮らしやけど、別にそれが特別ってわけやない。 友達にも片親の子はおるし、「うちもやで」って軽く言い合える。意外とみんなそんなもんやねんなって思う。
せやけど、うちはちょっと変わってて―― 父ちゃんとは、年に1回だけ甲子園で会うっていう謎ルールがある。 別に裁判とかで決めたわけちゃうねん。 なんとなく、最初の年からそうなって、そっからなんとなく続いてる。
父ちゃんは今、大阪を離れ、関東に住んどるらしい。 切符もチケットも高いのに、毎年よう来てくれるなって思う。
「チケット取ったで」ってLINEがくるのが、毎年4月末くらい。 返信せんといても、ちゃっかり送られてくるQRコード。 ほんで、当日になったら駅で会って、甲子園まで行って、試合見て、ハイタッチして、ポテト食うて、帰る。 ――そんだけや。
今年も、いつもどおりやと思ってた。 けどな、なんやろ……中2になって初めて、 ちょっとだけ、「なんで父ちゃん、家出たんやろ」って考えてもうてん。
甲子園、やっぱりでかいな。
父ちゃんは、毎年ここに来るたびにテンション爆上がりする。
「見てみ、芝生! な? 緑やろ?」 「ほら、あれが中野や。うちのセカンド、世界一やで」 「伊原、イケメンすぎるやろ! 将来解説者やな、絶対!」
横でずっとしゃべってる。 というか、周りの知らん人にも話しかけてる。 「今日の伊原くん、なんかええ顔してません?」とか。やめてほしい。
2回裏、テルがツーベースを打ったとき、 「よっしゃああああ! 今年のテルは違うで!」 持ってきたメガホンを叩きすぎて、前の兄ちゃんに注意されかけてた。
これくらい元気やと、こっちもつられて笑ってまうんよ。
昔はもうちょっと静かな人やった気がするけど、よう憶えてへん。 もしかして父ちゃん、 「今、ぼく楽しいです!」って、外で出すようにしてんのかな。
それはそれで、なんか大人っぽいなって思った。
4回にカープが犠牲フライで1点取ったとき、 父ちゃん、急にちょっと黙った。 って言うても、顔が曇ったとかそんなんやなくて、
「ポテト買いに行こか!」って、急に立ち上がった父ちゃん。 「なんで今なん?」って思いながらも、一緒に売店に向かった。 列に並びながら、「1点やったら、うちの打線なら返せるで!こっから応援せんとな!」って父ちゃんが笑う。 ポテトの列でもテンション落ちんの、ほんま尊敬するわ。
6回裏、代打の前川がヒット。 そこから中野のヒットで追いついて、森下が逆転タイムリー打ったときは―― ほんまに……父ちゃん、スタンドで立ち上がって両手広げてた。 しかも、拍手のリズムが独特で、誰とも合ってなかった。
その姿見てて、ふと思ってもうた。
この人、勝っても負けても、 「楽しかったな」って思えるように、空気をつくってくれてるんかもしれん。
昔の父ちゃんは、笑わんかった。 テレビ見ながらご飯食べるだけで、何もしゃべらへんかった。 仕事、しんどかったんやろなって、今なら少しだけわかる。
甲子園で会う父ちゃんは、ちょっとうるさいけど、よく笑う。 それって、たぶん――ぼくのために、頑張ってくれてるんやと思うねん。
9回、マウンドに上がったのは石井。 父ちゃんは、「今日は岩崎ちゃうんやな」と言いながらも、 もう“勝ちムード”に入ってた。
ストライクが決まるたび、「よっしゃー!」 ファウルで粘られても、「いける、いける!」って全力で言うてた。
試合終了。阪神の勝ち。 「やったな、気持ちよう帰れるわ!」って言いながら、こっちの頭ポンッて軽く叩いてきた。
梅田の地下で、人混みにまぎれる前。 「また来年な」って、父ちゃんが言った。 「うん」って一言だけ返したけど、ほんまはちょっとだけ――
今日みたいな日が、年に一回だけやなんて、もったいない。そう思ってた。
あの人、きっと不器用なんやと思う。 前よりようしゃべるようになったのも、 今日ずっと明るかったのも、 きっと、ぼくのこと、笑わせたかったからや。
昔のこと、まだようわからん。 なんで家を出たんかも、聞く気にはならへんけど――
“親の事情”ってやつも、 全部が全部、悪いもんちゃうんやなって、 そう思えたのは、たぶん今日が初めてやった。
また来年な、応援団長。
【今日のスコア】
2025年5月18日(日)@甲子園
阪神 3 – 1 広島
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