【甲子園】阪神惜敗 雨中の追い上げ届かず 2025年5月21日|阪神 4−5 巨人

阪神タイガース観戦記

大学3年の夏、4人で初めて甲子園に来た。 声と声が重なって、名前を呼ぶのも追いつかないほどだった。 あの時、立っていたのは誰か、記憶も曖昧なまま残っている。

僕――岸本和馬、30歳。地元の東京・中野で営業職として働いている。 年に1度だけ、学生時代を過ごした仲間と変わらずあの場所に戻る。

雨のベンチシートに〜阪神タイガース観戦記 2025年5月21日

朝6時、東京、中野。
有給を取ったはずなのに、体はいつも通りの時間に反応してしまう。
厚い雲が空を覆っているが、雨は降っていない。湿った風が、カーテンを揺らしていた。

洗面所で顔を洗いながら、ふと思い出す。
この数年、観戦のたびに使ってきた阪神のTシャツ、今年はまだ一度も袖を通してなかった。
干しておいたそれを畳み、リュックに詰める。
チケットは3月、村瀬が頑張って取ってくれた。

「今年も才木楽しみやし、甲子園で待ってるわ」
そんなLINEが届いたのは、仕事帰りの中央線の中だった。
村瀬は関西学院大学時代のゼミ仲間で、僕が中野から西宮に下宿していた4年間、奈良から毎日通っていた。
性格もまるで違うのに、不思議と野球の話で盛り上がり仲良くなった。

卒業してからも、年に1回だけは、甲子園で観戦する習慣を続けてきた。
「みんな離れても、タテジマの下では集合できるな」って。
でも、今年は違った。4人のうち、三谷は出張、山内は子どもの体調不良でキャンセル。
二人からのLINEには、「また来年な」とだけ返した。

中野駅から中央線で東京駅へ出て、のぞみに乗った。
ビジネス客が多くて、自由席は満席。指定を取っておいて正解だった。
隣の席では、大きめのスーツを着た僕と同じ歳くらいの男性が、タブレットを見ながらプレゼン練習をしていた。
こちらはスマホを伏せて、ただ流れていく景色に目を向ける。

甲子園は雨予報だったけど、きっと開催されるだろう。今日の先発はビーズリーらしい。
村瀬と最後に観た才木の試合は、たしか2022年。8回1失点で勝った試合だった。
「完封もいけたやろ」って村瀬がずっと悔しがっていたのを、今も覚えている。
その才木は昨日見事に完封した。今日も続きたいところだ。


新大阪に着くと、村瀬からLINEが入った。

「今日は午後イチで抜けてきた。甲子園、直で行くで」
「梅田駅から一本や。雨降っても、濡れんで済む」

大手ゼネコンの大阪本社へ就職した彼は、今や“地元枠”の人間だ。
梅田のオフィスから甲子園へ、20分。
“かつて大学のキャンパスから一緒に向かっていた場所”が、彼の日常に組み込まれていることに、
少し戸惑いがあった。

甲子園駅の改札前で落ち合った村瀬は、例年通り阪神づくしの服装だった。
キャップ、タオル、リュック、腕時計の黄色いベルト。ここまで統一できるのも才能だ。

「どうせならって、家一回戻って着替えてきた。嫁に“あんた完全体やん”って笑われたけどな」
「それ、褒め言葉か?」
「ちゃう。呆れられとる」

村瀬は今、大阪市の阿倍野区に住んでいる。奥さんの実家が近くて、去年の春に新居を構えたらしい。
結婚2年目。子どもはまだいない。
「今のうちやからな」って言いながら、今日は午後から有給を使って来てくれた。

売店でビールと唐揚げを買って、スタンドへと階段を上る。
あの頃──大学3年で初めて4人で来た日のことを思い出す。
試合よりも何よりも、誰が先に立ち上がるかで競っていた。
大声を出すことが目的だった、あの頃。

「…なんか、今日は緊張するな」
「なんで?」
「久しぶりに、“観に来た”って感じやからさ」

スタンドに入ると、予報通りの雨も降っているが、それでも試合は開催される。
僕たちは、昔みたいに肩を並べて、座った。                                   


「ジェレミー、勝てるかなあ」
試合前、まだ観客がまばらだったスタンドで、村瀬が言った。
彼は昔から、助っ人外国人をファーストネームで呼ぶ。メッセンジャーは“ランディ”、ウィリアムスは“ジェフ”。
ただ、マートンのことだけは“マシュー”って言い張っていて、「いや、マートンでええやろ」と山内にツッコまれていたのを思い出す。
今日のビーズリーも、当然“ジェレミー”だった。

雨は細くなったり強くなったりを繰り返していた。
応援歌のトーンも、どこかおさえ気味だ。
それでも、村瀬の声ははっきり聞こえてくる。

「井上も“ハルト”なのか」
「え?」
「ほら、名前。井上温大。ハルト、かぶるなって思って」
すぐに意味が分かった。阪神ファンにとって“ハルト”といえば、高橋遥人。
いつ復帰するのか、という話題は、今や春の風物詩になっている。

1回、2回、3回。
ジェレミーは、ランナーを出しながらも粘った。
巨人の井上も、テンポよく阪神打線を封じていく。
試合は重たい均衡を保ったまま、進んでいった。

それが崩れたのは、4回表だった。
先頭への四球。連打。
「やっぱ、四球って怖いよなあ」
隣で呟いた村瀬の声は、少し低かった。

冨田にスイッチしても、流れは止まらなかった。
球場全体が静かだった。雨の音だけが、レインコートを柔らかく叩いていた。
あっという間に4点が入った。

その裏、森下・佐藤・大山のクリーンナップが連打を浴びせ、1点を返す。
「よっしゃ、返した」
村瀬の声に、ようやく熱が戻る。
けれど、続かなかった。後続が抑えられた瞬間、彼は首をかしげて言った。

「あー、もう1点返しときたかったなあ」

6回終了で、スコアは2−5。
それでも、まだ回はある。
僕たちはビールを飲みながら、試合を見守り続けた。
少しだけ、体が冷えてきた気がした。


7回裏、木浪の三塁打で空気が変わった。
雨の中で、外野席がわっと沸き立つ。
その興奮の波は、僕らの席の横、空いたままの二席まで飲み込んでいた。
返金もせずギリギリまで確保していた山内と三谷の分。ここに来るはずだったかもしれない二人の席が、歓声と雨に濡れていた。

中野の内野安打。 湿ったスタジアムに、熱が戻る気配。

「村瀬、なんで落ち着いてられんだよ」
僕が言うと、彼はバットを構える渡邊を見ながら言った。

「追いかける展開の時は、相手の方が苦しいって考えるようにしてん。気持ち楽やし、
今の心境、巨人ファンの方が絶対きついって」

そして少し間をおいて、もう一度つぶやいた。
「いや……追いかけてる方がしんどいけど、そう思わんようにしてるだけや」

返す言葉を探したけれど、口には出さなかった。

「山内たちも一緒に来たかったやろな」

子どもの発熱で来れなくなった山内も、土壇場まで仕事をやりくりしてくれた三谷も、 それぞれの暮らしを抱えて、今を生きている。 もうあの頃の4人じゃない。 でもこうして、誰かがチケットを取り、誰かがここに来る。 それだけのことが、働き出した僕らには、簡単じゃないのかもしれない。

僕がうなずこうとしたその瞬間、打球音が響いた。

8回裏。 巨人のセットアッパー、大勢がマウンドに上がり、阪神ベンチも次々と動く。
代走、代打、また代打。 目の前の試合が一気に加速する。

ツーアウト満塁。 打席には楠本。
息を止めて見つめた6球目。打ち上げた打球はライトへ。 スタンドの歓声が一瞬止まり、ため息に変わる。

雨が、レインコートの肩を強くうちつけている。
村瀬と目が合って、どちらからともなく苦笑いがこぼれた。

9回裏。 反撃はなく、試合はそのまま4-5で終わる。
周囲が静かに立ち始める中、僕らはしばらく何も言わずに座っていた。

ふと横を見る。
空席のままのベンチシートに残った雨粒が、
静かに光を散らしていた。

誰も座らなかったその席に、
「また来年な」と呟いた。


【今日のスコア】
2025年5月21日(水) 阪神 4 − 5 巨人(甲子園)

コメント

タイトルとURLをコピーしました