阪神 2-3 巨人|延長11回、門脇の決勝打で阪神連敗 2度の満塁機を活かせず【2025年5月22日・甲子園】

観戦記2025

平日の午後、予定も会話もなかった。
ふと届いた1通のメッセージに、カーキのワンピースを選んだ。
ライトスタンドで顔に当たったタオルと、あの痛みだけが、
今日という日を確かに教えてくれた──。


頬に残ったもの〜阪神タイガース観戦記 2025年5月21日

朝、洗い物のしぶきがまだシンクに残っていた。
換気扇が止まっていることに気づいて、それを指で押した。

田島優子、36歳。コンサル会社の営業企画。
ここ数ヶ月、通知が鳴ってもすぐには開かなくなった。
それより早く、息子が朝食の牛乳を飲み干して、何も言わずに立ち上がった。

「いってきます」
「あ、いってらっしゃい」

返事があったのに、気づけばもう玄関の扉が閉まっていた。

会社では中堅。家では母。夫は、家族というより班の別部署にいるような距離感。
どこに立っても役目はあるけれど、自分が残っている感じがしない。

平日の午後、業務の手を止めたとき、ふと静けさが胸に降りてきた。
そのとき、福田からメッセージが届いた。


「優子さん、今夜って予定あります?取引先の人が急に行けなくなって、チケット1枚余ってて」

福田。27歳。営業部。うるさいけど悪い奴じゃない。
社内の飲み会では一番声が通るタイプだが、プレゼンは意外とうまい。

「野球とか観に行くんですか?」「阪神?ああ、夫がね」
以前そんな会話をしたことを思い出した。

「行きます」と送ると、すぐに「やった!今日ライトスタンドっす」と返ってきた。

夫と息子は、ゴジラ映画の再上映を観に行く予定だった。
夕飯の心配がなくなった分、気が抜けた。
会社のロッカーに置いてあったカーキのシャツワンピに着替えた。
「ちょっと甲子園行ってくる」と、LINEで夫にだけ簡単に伝えておいた。

甲子園へ向かう阪神電車の中、髪をひとつに結んだ。
18時前の球場に、まだほんのり暑かった昼間の熱が残っていた。


試合が始まって、最初のうちは、ただ眺めているだけだった。
ルールはわかるけど、細かい駆け引きまではわからない。
でも、福田がぼそぼそと解説を挟んでくるのが、心地よかった。

「ここ、ストレート投げへんかったら逆に怖いっすよ」
「キャッチャー、めっちゃサイン迷ってますよ今」

それを聞きながら、私は試合より、福田の声のタイミングばかりを気にしていた。

2回表、巨人が先制。
「ありゃ、今日もまた先制されたか」と福田がつぶやく。
その裏、頼れる5番、大山がレフトスタンドへ逆転ツーランを放つ。
「いよいよ大山が目覚めたんちゃいますか」福田が嬉しさを隠しきれない様子で言った。

3回表。巨人の攻撃。ノーアウト満塁。
デュプランティエがギアを上げ圧巻の三者連続三振。その快投は素人が観てても気持ちよかった。
球場全体がまるで生き物みたいに震える。
福田が叫んだ「うおおおおお!」は、誰かのセリフというより、その空間の一部だった。

気づけば、私も身を乗り出していた。
回を重ねるごとに引き込まれ、喉の奥が勝手に乾いてきた。

4回裏、今度は阪神がチャンスを逃す。
「今年、点は取れてるのに残塁も増えてるんですよね、気になるなあ」
福田は知った風な口ぶりで、でもそれが妙に板についていた。

7回、巨人のヘルナンデスに一発を浴び、同点。

そして8回裏。ノーアウト満塁。
森下が自打球を左膝に受けながらも打席に立ち、結果は併殺打。
続く大山も三振に倒れ無得点。

「っっっっだぁあああああああ!!!」

福田がタオルを握った左手を振り上げた瞬間、
その拳が、私の右頬にガツンと当たった。

「うわ、ごめん!!大丈夫ですか!?めっちゃ勢いで振っちゃった…!」

「うん、だいじょぶ…」

笑って返したけど、思ったより痛かった。
硬球が直撃した森下の膝の痛みには及ばないけれど、
こっちもこっちで、なかなかの衝撃だった。

福田は「いや〜、ほんま、すみません…」と小さく頭を下げて、
でも次の瞬間には、また大声で「うわー悔しいーっ!」と叫んでいた。

私はというと、頬に残る鈍いジンジンを、内心ひっそり味わっていた。


11回表、門脇のタイムリーで巨人が勝ち越し。
甲子園は静まり返った。
「重いなあ……」と福田が言ったあと、ちらっとこちらを見る。

「優子さん、ホッペタ大丈夫ですか?」

「うん」とだけ返した。

10時を過ぎた11回裏。先頭の佐藤の打席で応援の鳴り物は止まり、
観客の声だけが甲子園を埋めていた。鳴り物は関係ないと思えるほどの、もの凄い熱量だった。

佐藤がヒットで出塁。なんとか繋がり、2アウト満塁。8回裏以来のビッグチャンス。
甲子園全体が息をのんで見つめるなか、梅野のバットは快音を残さず、
セカンドゴロで試合は幕を閉じた。

立ち上がる観客たちのなかで、私は少し遅れて席を立った。

帰りの人波にまぎれながら、手が自然と頬に伸びた。

福田の拳がぶつかった右頬は、まだじんわりと熱を持っていた。
派手なアザにはならないといいな。でもそのジンジンとした痛みと熱は、
いつも“誰かの妻”や“母親”である私とは別の、自分の手応えだった。

甲子園の風が、ほんの一瞬その場所をなでていった。
そのとき、不思議と胸の奥が軽くなるのを感じた。

その夜、家に帰っても、誰にも何も言わなかった。
シャワーのあと、洗面台の鏡に映った私の頬には、赤みがまだうっすらと残っていた。

私はそれをしばらく眺めていた。
触れることはなかったけれど──

その赤みは、
今日という一日に、私自身がちゃんと刻まれていた証だった。


【今日のスコア】
阪神 2 – 3 巨人(延長11回)

📘この記事は「TIGERS STORY BLOG」の投稿です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました