試合概要・あらすじ
阪神が敵地神宮でヤクルトを8-1で破り快勝。3回表に中野の適時打で先制すると、この日4安打の猛打賞を記録。4回には昨日4三振に沈んだ佐藤輝明が待望の32号ソロで追加点を奪った。8回には坂本・森下・佐藤のタイムリーで一挙5点の大爆発。先発才木は8回途中1失点の力投で今季12勝目を挙げ、投打がかみ合った完勝劇となった。
杉並で暮らす姉・彩花(29歳、デザイナー)と、松本で働く妹・理央(25歳、市役所勤務)。
二か月ぶりに再会した場所は神宮球場。野球の時間に身をゆだねながら、日常から少しだけ解き放たれる一日となった。
時計を外すまでの話〜阪神タイガース観戦記2025年8月24日〜
朝の準備、それぞれの出発
朝、杉並のアパートで、彩花は机の上のカッティングマットをつついた。柔らかい緑の上に、切り抜いた雑誌の端が斜めに並んでいる。コーヒーの輪が小さく二つ。マグの底が犯行現場みたいだ、と心の中で言って、写真に撮るかどうか一秒だけ迷ってやめる。きょうは外に出る日だから、余計な記録は増やさない。
昨日、クライアントから「もう少し温かみのある色で」と言われて、温かみってなんだろうと考えた。温度に色があるなら、今朝のコーヒーは何色だろう。マグの底の輪っかは、温かみより記憶に近い色をしている。
母からのLINEが置き配の通知のように届く。松本に住む母だ。小さいころからテレビで阪神を応援していて、今も理央と一緒に観戦している。
「夜は遅くなるの?」
彩花は「ふつう」と返し、スマホを裏返した。
29歳、デザイン事務所勤務。広告の色彩やフォントが日常の癖になっている。誰に頼まれたわけでもないのに街を歩けばつい直してしまう。それは便利な力でもあるが、抜け出せない檻のように感じることもある。30歳が近づくにつれ、その癖すら生活の重さに見えてきていた。
同じ頃、理央は松本駅から新宿へ向かう特急あずさの窓際に座っていた。
車窓には山の稜線が流れ、膝の上の小さなバッグの中には着替えが詰まっている。
鏡の代わりにスマホを取り出し、画面に映る自分に口紅を引いた。派手ではないピンク。
姉と会う日は少しだけ違う。時計より気持ちが先に進むから。
二人がこうして東京で会うのは、二か月ぶりだった。前に会ったのは彩花が松本に帰省したとき。母と三人でテレビ中継を見て、最後は延長戦に疲れ果てた夜だった。
アプリで座席を選んだとき、彩花が「ここなら会話しやすい」と言って神宮の三塁側内野を指定した。理央はその考えに感心した。球場に行くのに会話のしやすさを気にするのは新しかった。普段は地図と予定に縛られる日々だからこそ、姉の言葉が新鮮に響いた。
外苑前の待ち合わせ、球場への道のり
外苑前で待ち合わせると、彩花はいつもの黒いトートを肩にかけていた。片方の肩にだけ薄い跡がつくほどの重量で、それが生活のフォントの太さを示しているみたいだった。
理央は軽いショルダー。中身は財布、ハンカチ、モバイルバッテリー。半分は備え、半分は安心材。
「お姉ちゃん、東京暑すぎるって」
理央が額の汗を拭きながら言う。
「湿気だろうね。アスファルトの照り返しもすごいし」彩花は応じた。
「慣れないわ、この重たい感じ」理央は首を振る。
彩花は笑って肩のトートを持ち直した。
歩道脇に掲げられた手作りの応援フラッグの黄色が目に入り、彩花は思わず口にする。
「もう半トーン落としてもいい」
理央が「落とす?」と聞き返す。色の話が急に階段のように現れ、登っているうちに何段目かわからなくなる感覚だった。
彩花は苦笑して「ごめん、仕事の癖」とつけ加える。
「いいよ。お姉ちゃんの癖は面白いから」理央は笑った。
足元では理央がタイルの目地を避けて歩いていた。
「昔から線を踏むのが嫌いだったよね」彩花が言うと、理央は目を丸くする。
「覚えてるの?」
「覚えてるよ。お母さんがよく『理央は几帳面すぎる』って心配してた」
二人は顔を見合わせて笑った。母の心配は、今も続いている。
理央の時計と彩花の地図
理央がひざに手を置くと、その指先が小さく揺れているのが彩花の目に入った。
あれは緊張ではなく、予定を頭の中で並べているときの癖だと、彩花にはすぐにわかった。
理央の頭の中には、昔から時刻表がぎっしり詰まっていて、遊びや余白の入り込む隙間は少なかった。
野球は予定通りには進まない。
理央の時計も、彩花の地図も、この場所では静かに眠っている。
ビールの泡が弾ける音、メガホンの奏でる音、誰かの笑い声。音が層になって積み重なる場所で、二人はそれぞれの日常から少しだけ離れている。
彩花の目には色よりも光が映り、理央の頭には時間よりも瞬間が宿っている。
違う生活を送る姉妹が、同じ時間を並んで過ごす。
――そのこと自体が、既に答えだった。
才木の投球、佐藤の一発、8回の大爆発
試合開始の十七時を過ぎても、東京の陽射しは強く、太陽は一向に優しくならなかった。
売り子さんたちは大忙しで、ビールやハイボールが飛ぶように売れていた。
3回、この日スタメン復帰した小幡がレフト前へヒット。才木が送りバントを決め2アウト1・2塁。
打席は2番中野。2打席連続のセンター前ヒットがタイムリーになり阪神が先制した。
「中野くんやった。いい仕事するなあ」
「2アウトから点取れたの大きいよね」
一際盛り上がる声が、暑さを忘れさせる。
4回表、先頭打者は佐藤。昨日は4三振、この日最初の打席も三振だった。理央が「調子戻して欲しいなあ」と言った直後、初球を振り抜いた打球がライトスタンドへ。阪神2-0ヤクルト。
彩花には球場全体がドクンとはねたように感じられた。やっぱり佐藤が打つと空気が変わる。
その余韻が残る4回裏、ヤクルトの村上がお返しのホームラン。阪神2-1ヤクルト。
「やっぱり怖いなあ、村上」
「ほんと、楽に勝たせてくれないよね」
敵地神宮は大きな歓声に包まれた。
5回裏、ヤクルトは丸山の四球から盗塁と送りバントで1アウト3塁。流れはヤクルトかと思わせた。「これは厳しいなあ」そう思わせたピンチを、才木は力でねじ伏せる。阪神ファンの安堵が広がり、夜空に花火が上がった。
「綺麗」理央が呟く。無意識に左手の人差し指が時計の留め具をそっとなぞっている。普段なら電車の時刻を気にしている理央が、今はただ夜空を見上げていた。
その横顔を見ながら彩花は思った。この子と並んで花火を見たのはいつ以来だろう。
はっきりと思い出せなかった。
6回表、大山の内野安打をきっかけに満塁。打席は才木。粘ってフルカウント、最後は押し出しの四球を選んだ。阪神3-1ヤクルト。
「息止まるかと思った」理央が笑った。
その横顔を見ながら、彩花は胸の奥が少し軽くなるのを感じていた。
筋書きのない野球は、流れと一瞬が複雑に絡み合う。
8回表、代打熊谷がフェンス直撃の三塁打。さらに坂本が右中間を破り、スタンドの熱気が一段上がる。
「今年の熊谷くんすごいよな。お母さんも熊谷くん、熊谷くんって騒いでるわ」
理央が言うと、彩花は頷いた。母が好きな選手が結果を出すのは、不思議に嬉しかった。
森下の走者一掃二塁打、佐藤のタイムリー。5点が一気に入って、スコアボードは8-1。
「すごいね、最高の展開」
「阪神の攻撃だったら時間なんてどうでもいいよね」
二人は顔を見合わせて笑った。斜め前に座る少年がメガホンを叩いて飛び跳ねている。
その姿が、彩花には微笑ましく映った。
帰り道の重さと軽さ
試合の細部は、二人の記憶の棚の別の段に収まる。スコアや数字のことはその段の住民で、きょうの主役ではない。主役は、重さと軽さだ。
彩花のトートは帰り道も重い。中身は出していないのだから当然だ。重さは罰ではなく、看板だと思う。自分の暮らしに貼っている看板。剥がせば楽だけれど、貼ってあると探してもらえる。
中央線高円寺駅の改札を出ると、理央は立ち止まって時計の留め具に指をかけた。
――カチリという小さな金属音が夜に響く。
手首から時計が離れると、夜風がその場所を優しく撫でていく。
理央の手首は帰り道、少しだけ涼しい。涼しさはご褒美というより、空いた棚だ。
そこに何を置くかは、帰ってから考えればいい。考えないで置くと、後で崩れる。形が崩れるのは嫌いだ。――けれど、その音にはたまに笑ってしまう種類のものもある。
歩道の白線を、理央は一つずつ踏んでいく。いつもなら避けていただろう線を、今夜は踏んでいる。二人でゲームをしているわけではない。ただ、目に入りやすい夜だっただけだ。
「次、いつにする?」と理央が言う。
「チケットが取れたら、その日にしようか」と彩花。
「その方がいい。無理に先に決めるより、取れた日に合わせた方が動きやすいから」
「理由は?」
「予定に書き込むときも、空白を残せる」
「空白は大事」
彩花は信号を横目に、肩のトートを持ち替えて言った。
理央は肩ひもを少し上げ直す。歩幅は違うが、隣にいるのに困らない差だった。小さく畳んだ着替えがバッグの中にあり、明日の朝には松本へ戻る予定が待っていた。
夜は続いている。終わっていないし、延びてもいない。終わりという言葉は、物語のために都合がいいが、生活のためには強すぎる。
二人は、看板の下をくぐる。文字は読まない。色も、いまは会議をやめている。理央の時計はポケットの中で静かにしている。静かなものが増えると、歩くのが少しだけ楽になる。
「お姉ちゃん、いつ帰ってくるの?お母さん、会いたがってたよ」と理央が聞いてくる。
「今度の連休かな」彩花は答える。
彩花は肩のトートを持ち替え、信号を横目で見ながら言った。
「今日のこと、お母さんに話す?」
「話すよ。帰ったら、すぐに」
二人の足音が歩道に小さく響く。同じリズムではないけれど、歩きにくくはない。
アパートまでの道、理央はスマホを見ない。彩花はバッグの口を一度だけ確かめる。確かめるのは癖で、癖を全部やめる必要はない。やめないで、すこしだけ位置を変える。
そういう夜の、すぐそばにいる二人だった。
本日の試合結果
スコアボード
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安 | 失 | |
阪神 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 8 | 13 | 0 |
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 |
責任投手
- 勝利投手:[ 阪神 ] 才木 (12勝5敗0S)
- 敗戦投手:[ ヤクルト ] 奥川 (4勝6敗0S)
📌 観戦メモ(持ち込みルール&持ち物)
・球場ごとに飲料容器や容量の規定が異なります。来場前に最新の公式案内をご確認ください。
・傘が使えない席が多いため、雨天時はレインポンチョ推奨。
・暑さ/寒さ対策と両手が空く軽装が快適さの近道です。
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