試合概要・あらすじ
2025年7月4日、横浜スタジアムで行われた阪神対横浜DeNAの一戦。阪神は村上頌、横浜DeNAはケイが先発。序盤はDeNAが先制するも、8回表に阪神が逆転。9回表には一気に5得点を挙げ、7-1で勝利し6連勝を達成した。
26歳の自称シンガーソングライター・直之と、介護職に就いた元バンド仲間の木戸秀樹。二人の野球観戦を通じて描かれるのは、夢を追い続けることへの迷いと葛藤。「いつまで夢を追っていいのか?」という問いかけに、直之が見つけた答えとは——。
ロックの果て 〜阪神タイガース観戦記2025年7月4日〜
倉庫の朝、埃をかぶったギター
川崎駅から歩いて10分の倉庫に着くと、まだ朝の湿気と生ぬるい風が残っていた。派遣バイトの列には、黙ったままスマホをいじる若い男と、背中を丸めたおじさんと、直之。たまにこうやって日雇いで稼ぐが、本当は自称シンガーソングライターだ。
台車を引く音がガタンと鳴り、湿った風が首筋に当たる。作業服の繊維が首にチクチクする。
「もっと手早くしろよ」
現場リーダーの声は毎回同じトーンだが、今日は特に心に突き刺さった。コンテナから段ボールを移すだけの作業で、額に汗がにじむ。
腹が減っても、昼は弁当を囲む輪には入らない。倉庫裏の自販機で缶コーヒーを開けると、ぬるい風に吐いた息が混ざってすぐに溶けた。
「俺、何してんだろな」。
高校のとき、秀樹と組んだバンドでは、直之はボーカルで歌詞を書いた。秀樹はギター担当だった。
22歳で就職してバンドを抜けた秀樹は「もう自分を保てない」と言った。秀樹が音楽をやめると言ったあの夜、練習帰りに二人だけで駅まで歩いたことを思い出す。今は介護の仕事で安定した生活を送っている。26歳の今でも、直之は一人で歌詞を書き続けている。
でも、この埃をかぶったギターは誰にも聞かれていない。
電車の中の問いかけ
電車の窓に、疲れた秀樹の顔が映る。
京浜東北線は金曜の夕方でもそこそこ混んでいて、立ったまま缶チューハイを飲む若いサラリーマンの笑い声が遠くに聞こえた。
直之はポケットの中の小銭を握りながら、秀樹の方を見た。
「巨人に3タテだぜ? 甲子園は湧いただろうな」
秀樹は目を閉じたまま、小さくうなずいた。
「あのライデルだぞ? ついに捉えたんだぞ」
「うん」
「投手陣がさ、ロックだろ」
「投手陣がロックって何だよ」
「揃ってるのがロックってことだろ」
「便利だな、お前のロック」
車内にガタン、と線路のつなぎ目を越える音が響く。
秀樹は何かを思い出しているようだった。
疲れた顔に、少しだけ優しい表情が浮かんでいる。
介護の仕事は大変だと聞いている。でも秀樹は「悪くない」と言っていた。
あの頃のバンドよりは、自分を保てるのかもしれない。
直之は喉を鳴らして笑った。
「お前、横浜が怖いんだろ?」
秀樹は外を流れる街並みに目をやる。
「俺の弱気は関係ないだろ」
秀樹の目の下に薄いクマがあった。
昨日も朝までだったはずだ。でも、それはもう言わない。
スタンドで響く声
スタンドに着くと、駅前の街のアスファルトの匂いと、焼きそばのソースの匂いが混ざっていた。
直之は売り子からビールを二つ買った。泡が少し溢れて、指に冷たさが残る。
応援歌が流れる。その音に、自分の歌が混ざるわけじゃない。なのに喉がかすかに震えた。
何を歌詞にするつもりだったんだっけな。部屋に放ったままの歌詞ノートには、「TRAIN-TRAIN」の歌詞を真似て書いた文字が止まったままだ。
「豊田、また打つかな」
秀樹は「出番はあるだろ」とだけ返した。
一軍に定着しかけた社会人出身の外野手。一度落ちても何かをつかんで戻ってくる。
自分もそうだと思ってた。でも何をつかんだ?
日雇いの作業服? 埃をかぶったギター?
諦めろって頭では分かってる。でも、まだ何かできる気もする。26歳なんて、まだ若いじゃないか。いや、もう遅いのか?
音楽で食えている奴なんて一握りだ。現実を見ろと言われれば、その通りかもしれない。でも諦めたら、本当に何も残らない。
秀樹は22歳で答えを出した。俺はまだ迷ってる。この4年の差は、決定的なのか?
「結局さ……」直之は口に出しかけて、言葉を飲み込んだ。
秀樹はもう答えを見つけたのに、俺はまだここにいる。
でも、何も答えない秀樹の横顔が問いかけてくる気がした。
場内アナウンスが響く。膨らんだ応援の歌声が空を埋めていく。
直之は立ち上がった。声を張り上げれば、何か取り戻せる気がした。
でも張ったところで、どこが終わりかなんて誰も教えてくれない。
いつまで張ってりゃいいんだ。……ここが、果てかもしれないのにな。
逆転の夜、決意の瞬間
試合前の不安を煽ったのは、大山の名前がスタメンから消えていたときだった。「なんかあった?」「昨日まで調子良かったのに、まさかケガじゃないよな」。言葉が生温かい風に混ざってスタンドを漂った。
DeNAの先発ケイも、初回は危なげなく切り抜けた。一方の村上も三者凡退で、立ち上がりは両投手とも静かだった。「今日もロースコアだな。ひりひりする」直之は手に持ったビールの泡をじっと見ていた。
4回裏、DeNAが先制。先頭打者の出塁から、ランナー二塁となり、佐野の一打がライトフェンスに跳ね返った瞬間、ライト側のヨコハマスタンドが爆発した。「なんで毎回、阪神戦で目覚めるんだよ…」秀樹は目を細めて小さく笑っただけだ。5回、6回とお互いにチャンスを作るが得点には結びつかず、やきもきする展開が続く。
迎えた7回裏、村上はノーアウト1・3塁の大ピンチを迎えた。DeNAファンの歌声がさらに大きくなる。だがマウンドの村上は渾身のストレートを筒香の胸元に突き刺し、最後は粘る桑原をセンターフライに仕留めた。
「……ロックだぜ」
直之の口から思わず漏れた。
ピンチを凌いだ8回表。代わった伊勢から坂本が出塁し、俊足の植田が代走。代打大山の打球が三遊間を破った瞬間、スタンドがざわめく。ノーアウト1・3塁。打席には近本。近本の打球はレフト前へ。チャンステーマが夜空を揺らす。歌声が張られる。「俺の歌なんかより、こっちの方がずっと響いてる」直之の心の奥で思いがまたくすぶる。
続く中野が送りバントを決め、森下が敬遠で満塁。佐藤がフルカウントまで粘った末にレフトへ犠牲フライ。逆転だ。蒸し暑い空気とファンの熱狂に、直之の喉も乾いていく。スタンドの歓声が夜風に溶けて、汗ばんだTシャツが肌に張りつく。
9回表、小幡の四球から植田のライトオーバー、熊谷のレフトオーバーの連続タイムリーで一気に阪神が畳みかける。抜擢された選手が結果を残す。その景色を見ながら、直之は歌うしかない自分を重ねていた。
芝生の向こうの歓声を、乾いた喉に落とす。応援歌が遠くまで響く。
キャッチャーミットに吸い込まれた村上のストレートも、植田や熊谷の一打も、結果を残した音だ。
俺の歌なんかより、あのチャンステーマの方がずっと響いてた。
秀樹と並んでいたあの頃の音が、耳の奥で鳴る。
何が変わった?俺は何を残せた?
帰れば埃をかぶったギター。歌わずに静かにしていても、何も残せない。
諦めるには早すぎる。でも先の見えないバンド活動には不安も残る。
そんな微妙な立場で、それでも——。
秀樹は静かに横にいるだけだ。
隣にいるだけで問いかけてくる。お前はもう張らなくていいのか、と。
明日も倉庫で汗をかくだろう。でも夜には、また歌詞ノートを開くに違いない。
バイトで稼いだ金で買ったギターも、誰も聞いてくれない歌詞も、全部が無駄だったとは思いたくない。
村上があのピンチを凌いだみたいに、抜擢された選手が結果を残したみたいに、俺にも何かできるはずだと。
終わりの見えない日々でも、俺は歌う。
いつかチャンステーマのように響かせたいから。
——それが俺のロックの果てだ。
本日の試合結果
阪神タイガース 7-1 横浜DeNAベイスターズ
球場:横浜スタジアム
日程:2025年7月4日
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