中3の悠人は、勉強でも野球でも、親友・岸本の背中ばかりを見ていた。
甲子園のスタンドで見た“もう一度立ち上がった選手”の姿に、ほんの少し勇気をもらった──。
エースじゃなくても届く場所 〜阪神タイガース観戦記2025年5月3日〜
中学3年の春。三谷悠人は、勉強と部活の間で揺れていた。いや、正確には、どちらにも自信を持てていなかった。
野球部ではピッチャー。でも試合で投げるのは、いつもエースの岸本だった。打たれてもチームを鼓舞して、勝ち切る。そんな彼の背中を見ながら、悠人はいつしか「自分は控え」と思うようになっていた。
勉強も同じだった。塾で出された模試の結果用紙は、昨日も開けずにポケットの奥にしまったままだ。開いたら、現実が突きつけられる気がして。
そんな時だった。「連休に甲子園行こうや。お母さんがチケット取ってくれたわ」と岸本が声をかけてくれたのは。 「田村も誘った。3人で行こうや」と。
昼すぎの甲子園駅。改札を出ると、阪神ファンでごった返していた。
「めっちゃ人多いやん」
「そらそやろ。中野とテルが出るんやで」
田村は屋台で焼きそばを買ってきた。
「熱いうちに食うと最高やで。まあ、猫舌やから冷まさな食べられへんけど」
「お前それ、どっちやねん」
笑い合いながら球場に入る。悠人は、その瞬間だけは勉強のことも、控えでいる自分のことも忘れられた。
1回裏、テルがセンターへタイムリー。
「うわっ、あの高めの球、今年ずっと打ってない?」
「やば、先取点きたー」
3回、大山がレフト線にタイムリーツーベース。
「やっぱり大山おってくれてよかったな」
「クリーンナップの並び、今一番バランスええんちゃう?」
「しかもさ、助っ人外国人おらん打線でこれやで。阪神ってすごいな」
6回表のピンチもデュプランティエが粘って無失点。
「コントロール、エグない?」
「なんか、打たせてアウトにしてる感じするな」
6回裏、小幡が出塁→即盗塁→代打糸原ヒット→代走熊谷も盗塁を決める。
「うわ、めっちゃ走るやん!」
「おじいちゃんが言うてたわ、今年の阪神は足が違うって!」
その後、近本も出塁し満塁に。ここで中野がキッチリ犠牲フライを放って1点追加。
「見た?今、チカも2塁いったで」
「見た見た!全員走ってるやん!」
そしてテルのライトへの高い打球は、浜風で戻されながらも三塁打に。
「風、読めへんて…」
「甲子園でフライ取れる気せんわ」
「お前はまずベンチから出るとこからやろ、田村」
7回、湯浅が甲子園のマウンドに帰ってきた。 「名古屋で登板してたけど、甲子園は久しぶりやな」
悠人は、その1球1球に目を奪われた。まっすぐ、しなやかに投げる姿。 派手なガッツポーズがあるわけじゃない。でも、そこに「戻ってきた」という強さがあった。 (マウンドに立てない間、湯浅にはどんな時間が流れてたんやろ)口には出さずそんなことを考えた。
9回、工藤が試合を締め、スコアは7対1。
「勝ったな、帰り、ラーメン食べにいこうぜ」
「いやや、お前食べるの遅いし」
じゃれ合う岸本と田村の背中を見ながら、球場の出口で、悠人は、ポケットからシワクチャになった模試の成績表を取り出した。笑うくらいひどい成績だ。
エースとしてチームを背負う岸本。自分と同じ目線で、バカみたいに笑ってくれる田村。甲子園で声を張る阪神の選手たち。そして病気を乗り越え、戻ってきた湯浅。
エースは岸本やけど。俺だって、マウンドに立ちたいって思った。勉強だってもっと頑張れるとも思った。
野球も勉強も、ちょっとずつでも続けてみよう。その結果どこに届くかなんて、今はまだわからないけれど。
だって湯浅が、努力してないわけないもんな。
【本日のスコア 阪神7ー1ヤクルト @甲子園球場】
コメント