スマホを見ないで過ごした時間に、こんなに心が動くとは思わなかった。
エースの本懐 〜阪神タイガース観戦記2025年5月2日
甲子園駅の改札を抜けた瞬間、省吾が声を上げた。
「うわ、マジででかいな!えっ、これ写真撮って!」
省吾とは高校のクラスメート。俺は今、名古屋の大学に通う3回生で、GWで久しぶりに大阪へ帰ってきた。
「哲也、野球見たいって言ってたやろ?」と、観戦チケットを取ってくれたのは省吾だった。阪神戦を選んでくれた理由は聞いてないけど、多分“映える”からだと思う。
まあ、父親と二人の兄の影響で幼い時から、阪神ファンの俺には願ったりだ。高校の時は野球に夢中でここに出ることを目標になんとか三年間部活も頑張れた。大学に入ってからは野球に触れる機会もグッと減ったし、とにかく就活で忙しい。せっかくの休みくらいはと、有り難くその誘いにのって甲子園にきた。
省吾はおしゃれに敏感で、トレンドにはいつも詳しいやつだった。高校デビューって言葉とは無縁で、出会った時から服も髪型も、ちゃんと時代の真ん中にいた。SNSももちろん強い。俺が1投稿で5いいねなら、省吾は200いいねが当たり前の人間だった。
そんな省吾が「ちょっと下から撮って!もっとスタジアム映える感じで」と、俺に撮影の指示を出す。撮り直すこと4回。ようやく納得のいく1枚が撮れたらしく、すぐさま「#甲子園なう」とアップしていた。
入場してすぐ、売店でたこ焼きを買った省吾は「これ、球場バックで撮ったら完璧ちゃう?」と、たこ焼きを手に持ち、アングルにこだわりまくる。
「哲也。もっと背景ぼかして。あ、やっぱり光が入ってないわ」
その間に、後ろの阪神帽のおじさんがチラッ、チラッと見てきて、「にいちゃん、そろそろ座ってくれるか?」と軽く睨まれた。省吾は「あっ、すみません」と言いながら、ようやく一口目のたこ焼きを食べた。
俺も、そんな省吾のテンションに巻き込まれてた。スマホ片手に、球場の看板を背景にして自撮りしたり、「この席まじでエグいな」とストーリーに投稿したりしてた。観戦というより“参加してる風”を残すのに必死だった。
試合が始まったのは18時。阪神の先発は村上。テレビではみたことあったけど、実際に投げる姿を見るのは初めてだった。
「ストーリー用に動画回しとくわ」と、省吾がスマホを構える。俺は苦笑いしてそれを横目で見ながら、最初のバッターに注目していた。
村上は、1球目からしっかりストライク。フォームがすごく整っていて、無駄がない。そこからいきなりの連続三振、続くバッターもフライアウトと、簡単に3アウトを取った。
「テンポ、めっちゃよくない?」と俺が言うと、省吾は気のない声で「動画編集してて見逃したわ」と笑った。
そのあとも、村上はランナーをほとんど出さずに試合を進めていった。5回まで両チーム無得点。それでも、スタンドには昨日までの連敗のせいかピリついた空気も少しあった気がする。それでも、落ち着いている。丁寧に、この手に汗握る試合と、踏ん張って投げる村上を見守っているような。
俺も、いつの間にかスマホを膝の上に置いたまま、触っていなかった。
そして6回裏。阪神の攻撃が始まる。
近本がヒットで出塁、中野が送りバントでランナーを進める。打席には佐藤輝明。
「これ、動画撮っとこ」と、省吾がスマホを構える。俺は、その声を聞きながらも、グラウンドに集中した。
カッという乾いた音とともに、打球はセンター前に抜けた。欲しかった先制点。ベンチの選手たちも手を叩く。甲子園に歓声がどっと湧いた。
続く大山もセンターにタイムリーを放って追加点。俺は右拳を突き上げたまま、スタンドの熱を感じていた。
「撮れてた。マジでこれはバズるやろ」と、省吾はスマホを見て笑っていたけど、俺はその時、もう画面は気にならなかった。
7回には森下が意地のタイムリーで4点目。前日までの試合でチャンスで期待に応えられなかった森下がここで打つなんて、やっぱり野球ってわからん。
「試合の流れってあるんやな」と省吾が携帯をいじりながら言った。「それ、言いたいだけやろ」と返したけど、俺も同じことを感じてた。
9回。村上がマウンドに上がる。球場全体が静かになった。いや、静かなんじゃなくて、集中していた。
「最後の1球、動画撮るわ」と、省吾が言う。
俺は、そこで初めて「いらんわ」と答えた。
「え、なんで? ええとこやん」
「画面越しやなくて、自分の目で見ときたいねん」
その時、なんでか知らんけど、俺は高校の野球部の監督の言葉を思い出してた。
「点が入らな勝たれへんけど、抑えてるからこそ1点が意味を持つんや」
4連敗してたチームを、先に点を与えず引っ張った村上の姿が、まさにその言葉を思い出させた。
エースが投げて4番が打って勝つ。これやねん。これが、エースの本懐や。
最後に村上が投じた球がライトへ上がる。村上、完封。甲子園が地鳴りのように揺れていた。俺は拍手を続けながら、スマホに手を伸ばすことなく、その熱狂の中にいた。
梅田へ向かう電車で、省吾は「動画、やばいくらい綺麗に撮れてたわ」と、ずっと画面をいじっていた。
俺はというと、窓の外に目を向けながら、ポケットの中のスマホを一度も取り出さなかった。
“映える”より、“残る”ほうが強い夜がある。
今日は、そのひとつだった。
【今日のスコア】 阪神 4 −0 ヤクルト(2025年5月2日|甲子園)
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