2025年6月21日、甲子園球場で行われた阪神対ソフトバンクの一戦。
阪神は大竹、ソフトバンクは上沢が先発。序盤から阪神打線が繋がり、初回に3点を奪取。
そのままリードを守りきり、大竹が自身初の「12球団勝利」を達成する記念の試合となった。
宝塚に暮らす26歳の育休中の女性・上西まどかは、この日、伊丹に住む母・洋子と甲子園を訪れる。
家事と育児に追われる毎日のなかで、気づけば“母”という存在を追いかけるようになっていたまどか。
ビールと応援タオルを手に声を張る母の姿と、成長していくタイガースの若手たちの姿が重なっていく。
スタンドに響く歓声の中で、まどかが胸に受け取った「母になること」の温度とはーー。
バトン〜阪神タイガース観戦記2025年6月21日〜
炊飯器のスイッチを切ると同時に、キッチンタイマーが鳴った。おにぎりの塩を洗い落とす暇もなく、私は指先を拭いてから、娘の寝顔をそっと覗いた。昨夜は夜泣きで三回起きた。その度に「熱はないやろか」「お腹痛いんやろか」と不安になる。母になって半年、まだ全部が手探りやった。
今日は土曜日。夫が「見てるから行っておいで」と言ってくれた朝やった。
伊丹に住む母からLINEがきたのは一週間前。「チケットあるけど行く?」たったそれだけ。返事はすぐに送った。「うん」。私も短く返した。
何を着ればいいか悩んだのは、出かける準備が久しぶりやったからやと思う。
阪神ファンの母は、ビールと大山の応援グッズがセットの人や。「男は背中で引っ張るタイプやないとな」と、随分前から大山推しの母。私はといえば、ユニフォームの類は持ってない。押し入れに眠ってたMLBのパドレスの帽子を探してかぶった。私はどちらかと言えばダルビッシュみたいな人がタイプや。
宝塚から電車に揺られて、甲子園に着くと、母はすでに球場前にいた。阪神のキャップに、赤のタオルを肩にかけて、売店の前で炭酸水を買ってる。背筋がしゃんと伸びて、いつもの母や。
「ほら、これ。今日の席」
母はそう言って、チケットを私に差し出した。
一塁側の内野席に座るなり、母はすぐにスコアボードに目をやった。私はといえば、スタンドの暑さと、夫からの既読のつかないLINEのことが気になってた。娘は今、寝てるんやろか。お昼は食べたんやろか。
母はそれには触れず、キョロキョロと売り子さんを探して早速本日一杯目のビール。泡をひとすすりして、「ふう」と小さく息をついた。
「今日はあんた、飲まへんの?」
「いい。なんか、飲む気分ちゃう」
「そっか」
そんな短いやりとりがひとつだけあって、私らはまた黙った。
一回裏。近本のヒットに続いて、森下が死球を受けた場面で、母の姿勢が前のめりになったのがわかった。
「ここはチャンスやで」と言うまでもなく、四番・佐藤輝明のバットが鋭く振り抜かれ、打球は三遊間を抜けた。
「入った…!」
思わず声が漏れた。拍子抜けするほどあっさり先制。こうなると、もっと取ってほしいと思うのがファンの性。
母の推しの大山が四球を選び、六番の小幡。上沢の浮いたストレートを迷いなく叩くと、打球はセンターの頭を越えた。
「小幡くん、あんな打球も打てるんやなあ」
母の声が弾んだ。ビールを持つ手も、心なしか軽やかに見えた。
走者二人が帰り、スコアは3-0。初回から六甲おろしが私らを包んだ。
マウンドでは大竹が、落ち着いた表情でボールを受け取ってる。今日は古巣ソフトバンクとの対戦。もし勝てば、ついに12球団すべてから勝利を挙げることになる。まさに、すべてのチームを相手に結果を残すという、投手としてのひとつの到達点や。
四回、淡々とテンポ良くアウトを重ねてた大竹が、スローカーブで打者を泳がせた場面。
「緩急か…子育ても一緒やで」
母がアイスを食べながら、笑うでもなく言った。
その言葉が、なぜか胸に残った。大竹がマウンドで投球のリズムを作ってるのを見てると、母が私を育ててくれた日々と重なる気がした。厳しくしたり、甘やかしたり。そのバランスの中で、私は大きくなってきたんやろな。
六回表、先頭の代打・川瀬へ二球目を投げた直後、大竹の仕草に変化があった。マウンド上で指先を気にし、ベンチに目をやったのや。
「何?マメとか」
ピッチャー交代が告げられると、一塁側のスタンドがざわついた。大竹の12球団勝利達成は、次の投手にかかってる。まさに、バトンが渡される瞬間や。
スクランブル登板したのは桐敷。先週打ち込まれた記憶がよぎる。
「大丈夫かな」と私が言うと、母はすぐに「絶対大丈夫や」と言い切った。
その根拠がなんなのかわからへんかった。でもその言葉の力は強かった。桐敷は三者連続三振。力強いストレートでバットにかすらせない圧巻の三振劇に、私も思わず手を叩いた。
「これがいいねん。阪神の選手は勝ちも負けも経験して強なっていくねん」
母はそう言って、胸を張ってた。
六回裏、阪神が代打の前川がヒットを放った時、母が静かに言った。
「ここ、絶対点取らなあかんとこやな」
声はいつも通りなのに、なぜか胸に引っかかった。母の言葉に、いつもより強い思いが込められているように感じた。騒がしいスタンドのなかで、私はその一言だけを聞いてた。
父が亡くなったときも、私の前で泣かへんかった。私が夜中に熱を出したときも、薬と冷えピタを黙って用意してくれた。朝、目を覚ますと母の笑顔があったのを覚えてる。
今になって思う。
娘を持つようになってから、夜中に泣かれるたび、私は不安でいっぱいになる。「これ、病院行くべき?」「なんかおかしい?」判断に責任を持たなあかんことの重みを、毎日のように感じてる。
そんな毎日のなかで、母は昔から私を守りながら、仕事もして、ごはんも作って、学校にも送り出してくれた。
子どもを育てるって、こんなにこわいことなんやと、毎日思う。
なら、あの頃の母も、ほんまはずっと怖かったんちゃうやろか。
でもそれを見せずに、試合で言うなら、”ずっとマウンドに立ってた”んやと思う。
スコアボードに目をやると、バトンは次の投手へと繋がれてた。七回は及川、八回はネルソン。みんな、それぞれの役割を黙って受け取っていく。
「最後はピッチャー、岩崎かな」
母が、空になったビールのカップを握ったままつぶやいた。声は穏やかなのに、どこか深くに響いた。野球の話なのに、それ以上の何かを背負ってるように聞こえた。
私ははじめて思った。
母のこと、わかった気になってただけかもしれへん。
母は、どんなときも、自分のしんどさや不安を見せずに、私の背中を押してきた人なんやと思った。私も、知らんうちにその姿を見て育ってきたんやろな。
そう思ったら、今私がこうしてここにいること自体、母から託されたものなんかもしれんと思った。
試合は9回。
岩崎が最後のバッターを抑え、大竹がベンチから笑顔で出てくる姿が見えた。12球団勝利達成。長い道のりやったやろうに、大竹の表情は晴れやかやった。
選手が整列してスタンドに手を上げたとき、甲子園に声援が波のように押し寄せた。
どんよりと立ちこめてた暑さも、吹き飛ばされるような大歓声やった。
帰り際、母が言った。
「来月も甲子園あるよ。あんた、また行く?」
「うん」
と笑顔で答えたそのとき、自分でも驚くほど、すっと言葉が出てきた。
母の背中から受け取ったものがある。
強さやったのか、やさしさやったのか、それとも、静かに踏みとどまる覚悟やったのか。
まだうまく言えへんけれど、私のなかで、それはあたたかく息をしてる。
いつか、娘と甲子園のスタンドに並ぶ日が来るんやろか。
「お母さんのタイプ?ダルビッシュかな」
そんなふうに笑い合える午後が、きっとどこかで待ってる気がする。
母になるということに、私はまだ追いついてない。
けれど、今日のような日を重ねながら、ゆっくりと、その輪郭をなぞっていけたらと思う。
阪神 3 – 0 ソフトバンク(2025年6月21日/甲子園)
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