阪神が交流戦で西武に3連敗。球団として西武戦での交流戦3連敗は初の屈辱となった。 1戦目・2戦目と連日の逆転負け。第3戦は森下が先制のソロホームランを放ったものの、守備のミスから先発デュプランティエも粘れず、打線も好機を活かせなかった。試合は1−4で敗れ、痛恨のカード3連敗となった。
そんな試合を、23歳の就活生・梨沙と59歳の市役所職員・吉井が一緒に観戦する。 歳の離れた“野球仲間”のふたりが交わすのは、終活と就活、それぞれの“シューカツ”の話。 語れる過去より、語りたくなる今。今日という日が、彼らにとってどんな一日になったのか── 交流戦の熱気とともに描く、ある観戦記の物語。
わたしたちのシューカツ〜阪神タイガース観戦記2025年6月12日〜
「昨日、伊藤よかったですね!」
池袋西口の昼酒屋。ジョッキを手にしたばかりの吉井に、梨沙が言った。まだ焼き鳥も来ていない。
「サヨナラ負けだったけど…ね」
吉井は苦笑しながら言葉を返す。
「はい。でも、伊藤が戻ってきたの嬉しくて。久々に気持ちよく見られたピッチングだったから」
確かに、試合結果は負けだけど、先発の伊藤がまたローテに戻れそうなのは今後につながる。負けた悔しさより、ポジティブな感想を先に言える。今どきの子って、そういうものなのかな、と吉井は思った。
店内は、仕事を終えた風の職人や、若い男女のグループで、ほどよく賑わっていた。59歳。定年を目前に控え、有休消化中のいま、平日に堂々と昼飲みできる自分に、まだ少し違和感がある。
妻を誘ったのは、2月の寒い日のことだった。「ベルーナ、一緒に行くか?」と聞いたら、「遠いし、野球よく分からないし」と目も合わさずに即答された。
その夜、DAZNを流しながらなんとなくスマホを見ていたら、LINEの履歴に梨沙の名前があった。
──去年、プロ野球阪神ファンチャットのオフ会で初めて会った23歳の女子。大学4年、中学高校は野球部マネージャー。そのときは、就活の話を少しだけしてくれた。
「東京で就活中です」って言ってたのを思い出し、連絡してみた。
「6月12日、ベルーナ空いてるんですけど…どうですか?」
彼女は「絶対行きます!」とあっさりと力強い返信をくれた。返信を見たあと、しばらくLINEを見つめていた。よく考えたら、ちゃんと話したのはあの日の飲み会くらい。それでも「行きます」と言ってくれたことが、妙に嬉しかった。
揺れる電車の中、梨沙の親指がスマホ画面をスクロールしていた。その画面を横目に、吉井が訊いた。
「それ、就活関連?」
「バレましたか?就活サイトです。でも今日は見ないつもりだったんです」
「そうか。俺なんか、そろそろ“終活”ってやつを考える年だけどさ。貴重な休みに、オッサンと野球でいいのか」
「ちゃんと“語れるエピソード”拾って帰れそうなので、就活的にも実はプラスです」
「語れるエピソード、ねぇ」
「はい。自己PRで“頑張ったこと”とか聞かれるので…でも本当は、“話したくなること”の方が人柄出ると思うんですよ」
吉井は内心、うなった。自分の頃の就活なんて、志望動機は「通いやすいから」「気合入ってます」「体育会系です」で通ってた時代だ。
「俺たちの頃はな……」 そう言いかけて、吉井は深く息を吸った。梨沙の横顔を見て、言葉を飲み込む。その一言が、今日の空気を変えてしまう気がした。
西武球場前駅を出た瞬間、湿度を帯びた風が吹いた。
「今日は取りたいですね」
「2連敗中だもんな。昨日の逆転負けはきつかった」
「でもまあ、中継ぎ陣にはお釣りがくるくらいこれまで助けてもらってるし」
「そう思えるのがすごいよ。俺なんか、9回裏で全部持ってかれた気がしてさ」
「早い段階で援護が欲しいところです」
「デュプランティエがパ・リーグ相手にどこまでやれるかだな」
スタジアムのコンコースを抜け、外野の芝生が視界に広がった瞬間、吉井は言った。
「去年、現地で観たのいつだったかな…」
「私、神宮のヤクルト戦は何度か行ってたけど、ベルーナは初です」
場内アナウンスがスタメン発表を読み上げる。吉井はそれを聞きながら、ただ黙って頷いた。梨沙の横顔をちらりと見て、ふと息を吐いた。
最近、定年を意識するたびに“終活”という言葉が頭をよぎるようになった。昔はピンとこなかったが、退職後の生活設計やら、家の整理やら。やることは山ほどある。でも、それって本当に“心の片づけ”になるのか?
公務員として真面目にやってきた。それなりに信頼され、役に立ってきたと思う。
横を見ると、梨沙がスマホをしまって、観客席の風景を眺めていた。
「吉井さんの終活は何をしてるんですか?」
「いや…ってか、終活って、過去の片付けだろ。片付けても片付けても、気持ちは整理されないんだよな」
「語りたくなる“今”のほうが、大事だと思ってます」
その言葉が胸に残った。
──俺、何を語れる人生だったんだろうか。“語りたくなる今”って、俺にはあったか?
試合が始まると、思った以上にスタンドの空気が熱かった。初回、森下がレフトスタンドへ叩き込んだ一発に、吉井は思わず身を乗り出した。
「おお。いい出だしだなあ」
「本当ですね。昨日までの鬱憤を晴らしてくれましたよ」
隣の梨沙も笑っていた。声は弾んでいたが、どこか“勝たなきゃ”という切実さもにじんでいた。
しかし、その裏。西武の2番・滝澤に四球を与えたあと、4番ネビンの詰まった当たりがショート木浪の頭上を越え、あっという間に同点に。
「なんかデュープ、今日はいつもと違いません?」
「うん、ボールが多いよね。粘られてるし、球数が…」
3回表、阪神は無死一二塁のチャンスを作ったものの、併殺で流れがぷつりと切れた。出塁はしているのに、どうにもつながらない。歯痒さが、口の中に残ったビールの苦味と重なった。
そして4回。森下の後逸も重なって、スコアボードにはあっという間に3点目、4点目が並んだ。
「なんか西武、伸び伸びしてきたな…ここ、食い止めないと」
吉井はそう呟いたが、グラウンドの選手たちには届くはずもなかった。
その後は冨田、椎葉と若手投手たちが粘りを見せたが、打線が沈黙。それでも終盤。迎えた8回表、満塁のチャンスにライトスタンドの阪神応援団が大きく揺れる。チャンステーマが所沢の夜にこだまする。
「逆転あるぞ」と、誰もが思った。
だが、テルの牽制死。続く大山もショートゴロで、この日最大の見せ場は、静けさの中にすうっと消えていった。
スタンドに広がっていた熱気は、一瞬で引いた。太鼓の音も止まり、応援団の旗だけが、風のない空気の中でかすかに揺れていた。
あまりに突然の展開に、誰もが気持ちの置き場を失っていた。
吉井は横に目をやった。梨沙と視線が合った。彼女は唇をかみ、苦笑いを浮かべていた。
「まさかの三連敗か」
試合終了の瞬間、吉井はそう呟いた。絞り出したその声が、どこかよそよそしく響いた。
梨沙はきゅっと唇を結んだあと、吉井の方を向いてはっきりと言った。
「この悔しさ、わたし絶対忘れませんから」
観客の波に押されながら、吉井と梨沙は西武球場前の改札へと歩き出した。
「今日のこと、誰かにすぐ話したくなりそうです」
改札の手前、梨沙がふっと笑ってそう言った。
「そうか。就活に使えるネタ、拾えたか?」
「使うかどうかはわかりませんけど……でも、“誰かと居た時間”って、それだけで強いですよね」
「誰かと居た時間、ね」
吉井はその言葉を噛み締めるように繰り返した。
今日を語りたくなるような時間を、これからも誰かと重ねていけたらと思う。
それが、俺なりの“終活”でいいんじゃないかと、歳の離れた友達に教えてもらった気がした。
【今日のスコア】 阪神 1 – 4 西武
コメント