2025年6月3日、北海道エスコンフィールドで行われた交流戦初戦は、阪神が日本ハムを1-0で下した。阪神は先発・才木が8回無失点の快投を見せ、大山のソロホームランで挙げた1点を守り切った。日ハムは初回から才木の投球を攻略できず、終盤のチャンスでも清宮が三振に倒れ、初戦を落とした。
島田良二(しまだ・りょうじ)、40歳、牛丼チェーンのバイトリーダー。 東京・板橋の団地でひとり暮らしをしている。 かつてはさまざまな仕事を転々としていたが、大手牛丼チェーンでだけは、なぜか“リーダー”という肩書きをもらえた。 本人いわく「肩書きっていうほどのもんじゃないけど」、それでも唯一続いている仕事だ。 そんな彼が、プロ野球交流戦初戦、阪神 vs 日本ハムの一戦を観るため、北海道エスコンフィールドへと向かった──。
北のバトルフェイス 〜阪神タイガース観戦記 2025年6月3日
朝5時、板橋の団地をそっと出た。 同じフロアの住人が出勤準備をする音が、薄い壁越しにかすかに聞こえる。 エレベーターの鏡に映った自分の顔は、どこかぼんやりしていて、まだ今日が特別な日だって実感がわかなかった。
羽田行きの電車に揺られながら、スマホで何度もエスコンフィールドの画像を見返す。 札幌の北広島にできた最新鋭の球場。行けるわけないと思ってた。 けれど、今年の交流戦の初戦が「北海道で阪神戦」と知ったあの日、何かが切り替わった。
バイト先の券売機の前で、「メニュー戻すボタンはどこだよ!」とキレる客をなだめた日も、 その脇で新人のアルバイトが無断欠勤したとかで、結局僕が全部フォローする羽目になった日も、 頭の中はずっと、“6月3日、北海道”のことばかりだった。
40歳。これまで正規雇用はなし。 今は、大手牛丼チェーンでバイトリーダーをしている──いや、 正確には「転々としてきた中で、唯一もらえた肩書き」ってやつだ。 ようやく、3ヶ月かけて航空券とチケット代だけはなんとか確保した。
「観戦なんかしてる場合か?」って言われたら、それまでかもしれない。 でも、この試合だけはどうしても行きたかった。 ちゃんと準備して、ちゃんと向かう。普通の人なら当たり前にできること。 ……たぶん、今の僕にとっては、それが“戦う”ってことなのかもしれない。
昼過ぎ、札幌駅から乗ったシャトルバスが、木々の間を抜けて球場の姿を見せたとき、 思わず声が漏れた。 「でか……」
エスコンフィールド。ドームなのに、空がある気がした。 球場というより、建物ごと丸ごと“街”だった。
案内係の女性が、こっちが戸惑うくらい親切な笑顔で「三塁側はこちらです」と言った。 鼻の下がのびそうになって、慌てて顔を引き締めた。 いかんいかん、今日は交流戦初戦。
戦う顔、バトルフェイスを保たなければ。
中に入っても、圧倒されっぱなしだった。 人工芝って聞いていたけど、緑がしっとりしていて、妙に落ち着く。 気づけば、スコアボードでも選手でもなく、芝をじっと見ていた。 ……こういうとこだよな、って自分で苦笑いした。
エスコンの楽しみのひとつにしていた、北の幸グルメには、試合前から完敗だった。
節約モードのつもりでいたのに、ジンギスカン串、ホッケフライ、〆のソフトクリームまでいってしまった。
「今日くらい、いいか」 誰に許可をもらったわけでもないのに、自分で自分を甘やかしていた。
自己完結は昔から得意技だ。
エスコングルメを満喫した後、ふと思った。
“他人のペースで生きてないって、それだけで変なんだろうか?”
周りの友人は家庭があって、住宅ローンを組んで、LINEグループも子どもの写真ばかり。 僕は今、札幌にひとり。 予定は誰にも合わせていないし、誰かのための出費でもない。
「なんでこんな人生になったんだろう」と思ったことは、これまで何度もある。
それでも今日に限っては、東京を離れ、遠いこの場所にこうしてひとりでいること自体が、少しだけ救いになっていた。
試合開始は18時ちょうど。 パ・リーグ1位、日ハムとの交流戦初戦。
阪神の先発は才木。日ハムは右腕のグーリン。
初回、中野が出塁し、盗塁も決めた。2アウト三塁。打席には佐藤。 ──打てば一気に流れを掴める場面だったが、空振り三振。ため息がもれた。
グーリン。力強いストレートを投げる投手だったが、序盤の3回。近本が出塁した直後、異変が起こる。マウンドに集まる日ハムナイン。 グーリンの降板がアナウンスされると、球場がざわついた。
ここで登板したのは、元阪神の斎藤。
……精悍になったな、と一瞬思った。 ただ活躍は、阪神戦以外で。頼む。切実に。
結局、斎藤が佐藤を打ち取ってピンチを切り抜けたあと、場内にはファイターズガールが登場。
イニングごとにキツネダンスで盛り上げる演出に、スタンドは温かいムードに包まれる。
いかん。 また“戦う顔”を忘れて、鼻の下を伸ばしていた。
慌てて、手元のビールを煽りながら、もう一度表情を引き締めた。
5回裏。 才木が粘っていた試合に、突然の揺らぎが生まれる。 郡司のセーフティバント、万波のヒット、そして四球。 1アウト満塁。エスコンの空気が一変する。
「頼む、才木」小さく声が出た。
大きく息を吸って、両手を組んだまま、ただグラウンドを真剣に見つめる。
それが今の僕にできる、唯一の“戦う顔”だった。
阪神ファンの祈りが届いたのか、才木は続く打者をきっちり抑え、無失点で切り抜ける。
6回表。 先頭の大山が、才木の力投に応えるように、センター奥深くへソロホームラン。
打球がスタンドに消えた瞬間、思わず膝を叩いていた。
試合の流れを強引に阪神に戻したような一撃だった。
その後、8回表にも阪神は満塁のチャンスを作るが追加点は奪えず。 次の1点が、やけに遠く感じた。
そして8回裏。 日ハムはこの日初めて、先頭打者が出塁。
2アウト1、2塁。 しかも2塁には、球界屈指の足のスペシャリスト、五十畑。 打席には清宮。
フルカウント、6球目。 才木の渾身のストレートに、清宮のバットが空を切る。 スタンドが揺れる。
阪神ファンの歓声と、日ハムファンのため息が交差した。
ぶはっ。 僕は止めていた息を、一気に吐き出した。
9回は石井がしっかり締めて、ゲームセット。 虎の初戦白星は、しっかりとエスコンに刻まれた。
いいゲームだった。
ここまで来て、ちゃんと並んで、ちゃんと見上げて、ちゃんと笑った。
普段の僕は人から見てもきっと冴えない40歳の男に映るんだろう。
それでも今日だけは、選手たちの真剣な眼差しに刺激を受けながら、自分なりの姿勢で踏ん張っていられた気がする。
「ちゃんと」って、そもそも誰が決めるんだろう。
そんなもの、どこにも基準なんてないのに。
今日くらいは──自分で自分にOKを出しても、いい気がした。
自己肯定も、昔からの得意技なのだ。
さあ、旅はまだ終わっていない。
明日の夜にはまた、券売機の前で「お釣りが出ないんだけど!」って怒鳴られてるかもしれない。
現実は何ひとつ変わっていないかもしれない。──でも、何かが少しだけ違って見える気がする。
だからこそ。 とりあえず、この顔のまま。
今日つくった、“僕なりのバトルフェイス”のままで、 札幌の街でも歩いてみようと思う。
すすきのまでは行けないけど……セイコーマートくらいなら、ね。
【本日のスコア】 阪神1−0北海道日本ハム @エスコンF
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