Taxi Driver 阪神タイガース観戦記2025年7月6日
試合概要・あらすじ
阪神が8連勝。阪神は初回、森下の2ランと佐藤輝のソロで3点を先制する。その後は、3回表に大山が適時二塁打を放つと、8回には森下のソロが飛び出し、リードを広げた。投げては、先発・伊藤将が7回1失点の好投で今季3勝目。敗れたDeNAは、打線が1得点のみと精彩を欠いた。
川崎在住のタクシードライバー奈津美(29歳)は、営業所での順番争いに疲れていた。土曜日の夕方、教育係の片岡先輩からの突然の誘いで横浜スタジアムへ。普段は偉そうなことばかり言う片岡だが、阪神の話になると無邪気になる。配車の順番を奪われても声を出せない自分に苛立つ奈津美にとって、この日の観戦は小さな変化をもたらすことになる——。
営業所での順番争い
営業所のロッカールームは、昼の熱気がまだ残っていた。
奈津美は制服の袖を脱ぎながら、壁に貼り出された無線表を睨んだ。
タクシードライバーになって3年目。
「お客さんの行き先が分からない」より「同僚の順番取りが分からない」方が怖い職業だと、最近気づいた。
午後の配車は、一台あるかないかで、その日の売上も空気も変わる。
けれど戻ったときには、自分の名前の横にあった赤い順番の線が、誰かの手で消されていた。
まあ、そんなもんだ。
片岡の顔が頭に浮かんだ。
営業所では奈津美の教育係と言われている先輩だ。
直接順番を決める権利はないくせに、「黙ってる若い奴には回さなくていい」と思わせる空気だけは作る天才だった。
『譲りません』って一言を出せば、あの赤線は残ったのかもしれない。
でも声を出せなかったのは自分だ。
情けない話だった。
制服を畳んで、黒Tに着替えた。
営業所の冷たいロッカーを閉めた手のひらに、じっとりと汗が滲んでいた。
関内駅での待ち合わせ
17時半、関内駅北口のロータリーは、昼の熱気と排気ガスがまだ混じっていた。
奈津美は小さなリュックを片肩にかけて、スマホをつけては消した。
片岡からの「17時半 関内で」の短いメッセージだけが残っている。
配車リストの赤線のことが、排気のにおいと一緒にまた頭に滲んだ。
我ながら、まったくしつこい記憶力だ。
信号の向こうに片岡の姿が見えた。
白いシャツの背中に阪神のキャップを片手でぶら下げて、コンビニ袋から缶ビールとタバコを取り出している。
立体駐車場の裏は、灰皿代わりの空き缶が積んであった。
片岡はそこに腰を下ろし、プルタブを開けて缶を傾けた。
奈津美は同じ場所に座る気にはなれず、少し離れたところで立ったまま、汗ばむ空気と排気を吸い込んだ。
なんだか修行僧みたいだった。
片岡はヒーローの話になると、いつも「若いのは踏ん張れ」と言う人だ。
言葉より先に、その嬉しそうな笑い方でわかる。
「昨日の熊谷、観たか? 守備でピンチ止めて、打点まで稼いだんだぞ。」
片岡の声は何も知らないみたいに無邪気だ。
昨日のヒーローは覚えてるくせに、私の順番を消したことは絶対覚えてない。
都合のいい記憶力である。
昨日テレビで観た、熊谷のヒーローインタビューを思い浮かべながら、奈津美は喉の奥に言葉を押し込んだ。
誰に譲って、誰に奪われたのか。
声を出せば、順番は戻ったのか。
まあ、今さら聞いても仕方ない。
横浜スタジアムへ向かう道のり
片岡が立体駐車場裏で缶ビールを飲み干す頃、信号が青に変わった。
空き缶は自販機横のゴミ箱に突っ込まれ、タバコの吸い殻はコンビニ袋に丸めてしまわれた。
阪神のキャップを被り直すと、片岡は「行くか」とだけ言ってロータリーを抜けた。
いつも通りのぶっきらぼうである。
奈津美は数歩遅れて歩きながら、午後の現場を思い返していた。
あの無線の一台は、黙ってる自分から先輩たちに取られた。
片岡はいつも通り、何も言わずに見てるだけ。
一言断れば、順番は戻ったのかもしれない。
でも誰も戻さなかったのは、自分が声を出さなかったからだ。
シンプルな話だ。
信号を渡ると、関内の路地裏から蒸気を含んだ風が吹き抜けた。
DeNAの青いレプリカを着た親子が手をつなぎ、阪神の黄色いタオルを首に巻いた男たちと、混じり合って歩いていく。
横浜の地元民と関西からの遠征組。
どちらも自分の場所を譲らない。
みんな同じだった。
片岡の歩幅は奈津美より一歩大きいのに、ときどき振り返っては笑う。
スタジアムの外周が見えると、売店の明かりがもやを吸ってぼやけていた。
片岡は迷いなくプラカップのビールを二つ注文する。
「昨日勝ち越したんだ。今日も暑いし、喉乾くだろ。」
奈津美は何も言えなかった。
午後の順番のことを言うなら今しかないのに、
プラカップのふちに浮かんだ泡が零れないように、ただ指でなぞるしかなかった。
…チキンである。
阪神勝利の瞬間と心境の変化
片岡は大声で六甲おろしを口ずさみながら、スタンド席までの階段を踏みしめる。
奈津美の手の中のビールは、泡がこぼれそうで、踏み外したら損するような気がして、口をつけるタイミングを逃した。
要領が悪いのである。
スタンドに座った頃には、空は夜のもやをまとって、球場の光が白く滲んでいた。
伊藤将司がマウンドに立つ。
今日はどうなるのやら。
初回、中野がヒットで出て、森下がレフトへいきなりのホームラン。
片岡は「まじか!相手ジャクソンだぜ」と目を丸くして、ビールを鼻から噴き出しそうになった。
慌ててタオルで口を押さえる姿が、普段偉そうなこと言ってるくせに妙に可愛い。
信じられないことが起きたようで、奈津美もつい笑った。
まだ興奮が冷めない中で、次の佐藤が2球目を振り抜く。
今度はライトスタンドだ。
阪神3−0。
すごいじゃないか。
口をつぐんでいたから、誰かにさらわれた。
あの時、何か一言言えていたら。
でも今はホームランである。
伊藤は2回裏、牧に被弾する。
阪神3−1。
やっぱり横浜は怖い。
何も言わなければ、誰かが奪っていく。
球場の青い声援に押されて、心が少しだけ揺らぐ。
それでも3回、大山のタイムリーで追加点。
2アウトからの一打は、誰かの喉奥の声を引き絞る。
声を出さなければ、何も変わらないんだ。
当たり前の話。
6回裏、石上のヒットに筒香の代打、桑原のヒットで1アウト1・2塁のピンチ。
「俺らの頃の阪神はさ、新庄が活躍してた時代でも優勝なんて夢みたいだった。今の選手は恵まれてるよ」
片岡はこっちを見て喋ってるのがわかるけど、目は合わせない。
この人はいつも「昔は良かった」と言いながら、若い者には厳しい。
——面倒くさい先輩なのだ。
伊藤が佐野をセカンドフライに、宮崎を空振り三振に切って取る。
追い込まれても、諦めなければ抑えられる。
口をつぐんでいても、誰かが決める。
でも、本当は自分で決めなきゃいけないんだ。
そんなことは分かってる。
8回、森下がバックスクリーンに2本目の一発を放り込む。
欲しかった追加点。
阪神5−1。
2本も打てるなら、私だって2回くらい『譲りません』って言えるでしょ。
——森下より絶対簡単なはず。多分。きっと。
片岡を見たら、六甲おろしの大合唱の中で眠っていた。
この人も多分、誰かに譲って、奪ってきたんだろう。
でも今はただの、阪神が勝つと嬉しくて寝落ちするおじさんだった。
……普通のおじさんじゃないか。
はっきり断れたら、自分の順番は自分のものだ。
簡単な話である。
球場を出ると、蒸した空気が喉にまとわりついた。
片岡はタバコを取り出したが、火をつける前に奈津美を振り返った。
「なあ、若いのは踏ん張れって言ったろ?」
奈津美は首を振った。
「違いますよ。踏ん張れじゃなくて、決めるんです。」
片岡はへらっと笑って、ライターの火を吹き消した。
「そうかもな。」
明日、営業所に戻ったとき、
『譲りません』って言えるだろうか。
片岡の驚いた顔を想像すると、少しだけ楽しみだった。
じめついた夜風が、少しだけ生ぬるくて気持ちいい。
本日の試合結果
阪神 5-1 横浜DeNA
– 森下の2本塁打(2ラン・ソロ)で阪神8連勝
– 伊藤将司7回1失点の好投で今季3勝目
– DeNA打線は1得点のみと精彩欠く
🌿【PR】毎日のコンディションを心地よく。
汗ばむ季節の外出後には
『SHIRO アイスミント ボディミスト』でひんやりとした爽快感を。
運動後や食事だけでは足りない栄養補給には
『ファミテイン(カカオ味 300g)』のホエイ&ソイプロテインで
美味しく手軽にたんぱく質をプラスできます。
ちょっとしたケアの積み重ねが、
毎日を健やかにしてくれます。
コメント