【甲子園】完封リレーでスミ1勝利。ルーキー伊原が2勝目|阪神1−0中日【阪神タイガース観戦記】

阪神タイガース観戦記

71歳の河合彰。孫の柚(ゆず)と訪れた甲子園で、誰かと拍手を交わせた一瞬が、遅れてやってきた春のようだった。

肩越しの春 〜阪神タイガース観戦記2025年5月11日

「今日の中日、松葉だってさ」 そう言って顔を上げたのは、孫の柚だった。 岐阜羽島駅の新幹線ホーム。 日曜なのに、この高校の制服が気に入ってるらしい。 白い襟元を整えながら、彼女はスマホを見ていた。

私は河合彰、71歳。柚には、たまに“アキラさん”とふざけて呼ばれる。 屈託なく話しかけてくれる高校生になったばかりの孫といる時間がいちばんほっとする。 おまけに野球と阪神のファンに育った。

「松葉か……なんか、いつも捻られてる気がするね」 「いやな予感するなあ」 「でもさ、左でしょ? 中川君スタメンあるかもよ」

この子も、もうすっかり“自分の阪神”を持っている。 かつてはテレビの横に並んで、ただ一緒に画面を見ていた小さな背中が、今は自分の知らない選手の調子まで語る。 誇らしいような、ほんの少し寂しいような。 そんな感情をまとめて飲み込んで、私は小さくうなずいた。

妻──恵子に先立たれて、五年が経つ。 名古屋の家でひとり暮らしを続けていたが、ある日、娘から電話がかかってきた。 「お父さん、一緒に住もうよ」 ありがたい言葉だった。 そして、去年から岐阜羽島の西笠松にある娘夫婦の家に、私の暮らしは移った。 静かで、優しい空間。 それでも、やっぱり“居候”には違いないと思う瞬間がある。 テレビの音が少し大きかったか、とリモコンに手を伸ばすとき。 湯呑を片づけようとしたら、先に娘に持っていかれたとき。 「気にしないで」と言われても、“気になる”のが年齢というものだ。

「お父さん、今日は無駄遣い禁止だよ」 玄関でそう言って娘が笑った。 冗談のようで、どこか本気の顔。 それはつまり──前科があるということだった。

去年の夏、柚と一緒に甲子園へ行ったとき。 彼女が「森下のユニフォーム、かっこいい」と言った、そのひと言だけで、レジに並んでいた。 応援バット、キャップ、ステッカーも「ついでだ」と袋に詰めた。 帰ってから、娘に「……外商でも始めたの?」と呆れられた。 だけど、柚が袋の中を見て「うわっ!」と声を上げたあの笑顔は、今でも覚えている。

先日も、駅ビルの韓国コスメ店で、柚が「これ、インスタで見ててずっと欲しかったやつ」と言った。 私は何も言わず、そのリップとパックをレジに差し出した。

柚は今日、その時買った森下のユニフォームを着ていた。 黄色と黒のタオルを首にかけて、いつの間にか、立派なタイガースファンの顔をしていた。いつまでも付き合ってくれたらいいのだが。

甲子園は、いろんな人生が並んで座る場所だと思う。 声を張る学生、静かに手をつなぐカップル。 だけど、誰のことも邪魔しないのが、この球場のいいところだ。 今日の自分だって、そのなかにちゃんと混ざっていた。

試合は初回、佐藤輝明のタイムリーで阪神が先制。あわやホームランかという打球だった。 柚が立ち上がって「テル〜!」と叫び、応援バットを振る。 その声に驚いたのか、斜め前の学生グループのひとりが振り返って笑った。 柚が軽く会釈して、私の顔を見て、にこっと笑う。 その目元が、惠子そっくりだった。 いや、この子はどちらかというと、若いころの惠子より美人かもしれない──なんて、完全な祖父バカだけれど。

6回表、小幡に代わって木浪の名前がアナウンスされた瞬間、スタンドがざわついた。 「なんでこのタイミング?」 「ケガか?」 柚も眉をひそめて、グラウンドをじっと見つめる。 その直後、先発の伊原が連打を浴び、中日の攻撃が加速する。 阪神ベンチが動き、マウンドには湯浅。 2アウト満塁。押し出しが頭をよぎる。 音のないざわめきに似た緊張感が、スタンドを包んだ。

「……抑えてくれるかな」 柚が不安そうに言う。

湯浅は、ただただ静かに投げ込んだ。 そして──抑えた。 満塁のピンチを無失点で切り抜けた湯浅は、ガッツポーズとともにマウンドを降りていく。 その背中に、スタンドからの拍手が降り注ぐ。 隣の柚が、両手でパンパンと音を立てて、まっすぐな瞳でグラウンドを見ていた。

7回からは、及川、石井、岩崎とつなぎ、完封リレー。 阪神1−0。 スミ1での連勝だった。

帰りの新幹線を待つホームで、柚がぽつりとつぶやいた。
「ねえ、アキラさん。次の交流戦も、一緒に行けたらいいな」

「……ほんとに、行ってくれるのか?」 嬉しくて、思わず聞き返すと、柚は笑ってうなずいた。

羽島へ帰るひかりの発車のアナウンスが流れた。 その音が、遠くにゆっくりとほどけていく。

さっき、柚の肩越しに見た五月の甲子園のグラウンドを、ふと思い出した。

柚と一緒に笑う日々が、またここから始まる気がした。


【今日のスコア】
阪神 1 – 0 中日(2025年5月11日・甲子園)

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