試合概要・あらすじ
京セラドームの酷暑の夜、阪神が中日に5-4で勝利した。
一軍初昇格即スタメンの井坪がプロ初安打で流れを呼び込み、スタメンマスクを被った栄枝が
プレッシャーのかかる場面でタイムリー。糸原や熊谷の活躍も加わり、
藤川監督の選手起用が光る試合となった。
スタンドでは、会社で昇進を争う同期の高瀬と村木が並んで観戦していた。
グラウンドで躍動する若手と同じように、彼らもまた自分たちの「競争」の最中にいた。
ライバルズ〜阪神タイガース観戦記 2025年8月19日〜
猛暑の京セラドーム前で
京セラドームの外は、灼熱のアスファルトからの照り返しでむわっとしていた。歩道に立っているだけで、靴底から熱が伝わってくる。暑さが年々ひどくなり、四十度超えが日常になる未来も遠くないのかもしれない。
「ほんま、これ四十度超えるのが日常になるんちゃうか。命削って出勤してる気分やで」
高瀬遼は首にタオルをかけ、日焼けした顔に汗をにじませながら豪快に笑った。営業畑で数字を荒稼ぎする彼は、声も態度も大きい。取引先の自動車部品工場では、機械の騒音に負けじと大声で商談をまとめる。スタンドでも一発で目立つタイプだ。白いポロシャツの胸ポケットには、いつものように名刺入れが膨らんでいる。
村木慎一はその横でジャケットを腕にかけ、曇った黒縁メガネをハンカチで丁寧に拭いている。企画分析畑の彼は、エクセルの数字と向き合う時間が長い。取引先への提案書も、必ず三つのパターンを用意して臨む慎重派だ。
「オフィスは冷房効きすぎで凍えるし、外は灼熱。どっちにしても過酷だな」
彼は分析屋。資料を積み上げて評価されるタイプで、普段から一言多い皮肉屋だ。今日も朝から会議資料を三部作成し、昼休みには夏の甲子園ベスト8の速報をこっそりチェックしていた。
二人は大手工作機械メーカーの同期入社。大阪支社営業部は二十名規模。
その中でトップを争う三十八歳同士だった。
高瀬は地元尼崎のアパート暮らし、村木は東京の江戸川区に妻子を残して大阪で単身赴任中。
平日は競争相手、休日は時々こうして並んで阪神観戦する不思議な関係だ。
「ライバル同士で観戦って、客観的に見たら妙なもんだな」
村木がチケットを見せながら言うと、高瀬は鼻で笑った。
「競争は競争、観戦は観戦や。けど勝敗にこだわるのはここでも同じやろ」
スタメン発表に沸くスタンド
ドーム内に入ると、冷房が肌を包んだ。二人は一塁側の指定席に向かいながら、売り子の声に耳を傾けた。高瀬は早速大きな声で生ビールを注文し、村木はアイスクリームを選んだ。
スタメン発表のアナウンスが響くと、高瀬はプラカップのビールを高く掲げた。泡がこぼれそうになる。
「おおっ、ビーズリーに栄枝か。前回すぐ二軍落ちした二人やろ。今日はリベンジの舞台や!」
村木はアイスクリームを一口食べながら頷いた。
「一試合の失敗で二軍。俺らの昇進競争よりシビアだな」
「いやいや、営業やってたら一回の失注で来期の予算消し飛ぶんやで。あの日東海部品との契約逃した時なんて、支社長にどやされまくったわ」
高瀬が笑い飛ばすと、村木は「その強引さだからトップ営業なんだろ」と皮肉を返した。村木の方は先月の企画提案で三つのプランを持参し、結局全部採用されて上層部から評価を得ていた。
そのとき場内アナウンスが響いた。
「八番センター、井坪!」
一瞬、ざわめきが広がり、すぐに大きな拍手とどよめきに変わる。
「おおおっ、マジか!昇格していきなりスタメンやんけ!」
高瀬が思わず立ち上がり、プラカップを掲げる。ビールが揺れて泡が弾けそうになり、前列の客に軽く頭を下げた。営業の癖で、すぐに相手に謝る姿勢が身についている。
村木は目を丸くしながらも冷静に言った。
「即スタメン…藤川もずいぶん思い切ったな。固定観念に縛られない采配だよ。今年はメンバーを固定しつつも固執しないというか、柔軟な若手起用がとにかく目立つ。毎試合違う選手がヒーローになるのを見るのはファンとして嬉しいよな」
高瀬は大きく頷き、「ほんま、藤川監督になって変わったわ」と言いながら、また売り子を大声で呼んだ。二人の胸にわく期待は同じ方向を向いていた。
「高卒三年目やな。関東一高出身やっけ。今日甲子園でベスト8やったのに惜敗してもうたやろ。昼間会社でこっそり速報見てたわ」
「俺も見てた。中川の母校の京都国際も今日で敗退したしな。二人には爪痕を残してほしい」
「藤川監督の若手起用は本当に面白いな。前川がレフトの定位置かと思ったら、中川や高寺と日替わりや。井坪はセンターやけど、若手全体のアピール合戦に加われたのが大きな一歩やな」
「結局、チャンス掴んだやつが勝つんや。会社も同じやろ」
二人の会話は、試合と仕事を行き来しながら熱を帯びていった。村木がメガネを拭き、高瀬がまたプラカップの泡をこぼしそうになる。昼間見ていた甲子園の高校生たちの溌剌としたプレーやがむしゃらさを思い出すと、勝敗以上に失ってはいけないものを教えられている気がしていた。
競争相手との不思議な時間
ビールを追加して、二人は汗を拭った。スタンドが徐々に埋まり、試合開始を待つざわめきが高まっている。高瀬はプラカップを両手で包み込み、村木は腕にかけたジャケットで額の汗を拭った。
「なあ村木。こうして並んで応援してるの、ちょっと変やないか。明日からまた競争相手やのに」
高瀬が言うと、村木はメガネを押し上げて小さく笑った。レンズが少し曇っている。
「だからいいんだろ。球場くらい同じチーム応援してても。どうせ明日は会議で対立するんだから」
「せやな。でも今日の井坪見てると、チャンス掴むのは一瞬やなって思うわ。俺らも同じや」
「競争してるからこそ、こういう時間が貴重なのかもしれない。お互い本音で話せるし」
球場全体の声援に包まれながら、二人はプラカップを軽く合わせた。井坪がベンチから飛び出してくる姿が見える。
井坪、初安打の瞬間
試合前から京セラドームの雰囲気は少し違っていた。阪神の選手たちがカード限定のブラックユニフォームで登場すると、スタンドがどよめいた。いつもの縦じまもいいが、威圧感のある今年の限定ユニもかっこいい。
「ブラックダイナマイトシリーズか。こういう遊び心も悪くないな」
村木がビールを口にしながら言うと、高瀬はプラカップを掲げて応じた。
「栄枝とビーズリーのコンビ、なんか応援してまうなあ。本来ビーズリーかってローテ当確くらいのピッチャーやん」
立ち上がりのビーズリーは三番岡林にヒットこそ浴びたが無得点で切り抜けた。栄枝との呼吸も悪くない。
「それだけ先発陣が揃ってるのはいいことなんだけどね。俺は栄枝にこそ頑張って欲しい。今年は坂本が素晴らしいから、比較されるプレッシャーも大変だと思うし」
村木の分析に高瀬も頷いたが、二回表、ビーズリーが先頭のボスラーに四球を与えると表情が変わった。続くチェイビスにヒットを許し、一死後の石伊のスクイズで中日が先制する。
「やっぱ先頭に四球だとこうなるよなあ」
村木の呟きに、高瀬は黙って頷いた。
「なんやかんやドラゴンズって助っ人補強うまいよな。細川いるし、助っ人二人でクリーンナップも見栄えいいし」
「確かに阪神戦のドラゴンズは油断できないしな」
二回裏、先頭の四番佐藤が久しぶりのヒットを放った。
十何打席ぶりのヒットに安堵が広がる。大山もヒットで続き、打席には期待の中川が立つ。
「よし、決めろ中川」
クールな村木が珍しく熱く応援するが、中日マラーのストレートに三振。しかし続く栄枝がライトへのタイムリーを放った。
「うおお」
高瀬が思わずガッツポーズし、村木と手を叩き合う。
プレッシャーのかかる場面で、まずは結果を出した栄枝。
一塁上で安堵の表情を見せる姿に、高瀬は目頭が熱くなった。
そして井坪の打席。変則的なバッティングフォームの右バッター。
初球にバットが出る。
ボテボテの打球は三塁線に転がったが、捕球したチェイビスの悪送球の間に、一塁走者の栄枝も一気にホームイン。
相手のミスにつけ込んだナイス走塁で、阪神にさらに二点が転がり込んだ。
何が起こったか追いつけないまま、二人は一塁側阪神サイドの熱気と高揚に包まれていく。
「ボテボテでも、どんな形でもいいよな。初スタメンだし」
村木の問いかけに高瀬は興奮気味に答えた。
「おお、最高の結果や」
栄枝と井坪、抜擢された二人で三点を叩き出した。若い選手の躍動が眩しい。
逆転してからも、阪神の先発のビーズリーは毎回のようにランナーを背負う苦しい展開が続いた。
そして五回表、ビーズリーはこの回もヒットと四球でランナーを背負う。
四番細川をなんとか打ち取るも、続くボスラーにセンター前へ運ばれ一点を失う。
勝ち投手の権利を目前にしながら、ここでマウンドを譲ることになった。
交代したのはハートウィグ。
一死一・三塁の場面で、チェイビスの打球をセカンド中野がダイビングキャッチ。
誰もが落ちたと思ったライト前への当たりを俊敏な動きでグラブに収めた。
「中野すげー」球場中が美技にどよめく。
しかしほっとしたその直後、七番山本にタイムリーが飛び出し、中日が同点に追いついた。
「ビーズリー、球が抜けまくってたなあ、すっきり終わりたいけど」
「あの荒れ球だと、栄枝は辛いね。ミットに来ないんだもん」
冷静な村木がそう続ける。
さらに村木が携帯を見ながら呟いた。
「ビーズリーは被安打五、与四死球も五だって、よくこれで抑えてたな」
確かにそうだ。この内容では栄枝が一番疲れただろう。
それでも六回裏、大山が粘って四球を選び、中川が送りバントを決める。
栄枝から交代した坂本は三振に倒れ二死。
チャンスが潰えたかに思ったが、井坪の打球は二回と同じくまた三塁線へ転がる。
今度はチェイビスが弾き、流れが一気に阪神に傾いた。
この場面を代打で登場した糸原がしっかりものにする。追い込まれながらもライト前へ弾き返し待望の追加点。さらに熊谷の連続ヒットでこの回二点を奪った。
「これ、井坪とチェイビスのホットラインできてるやん」
高瀬が村木の方を見ると、二人は思わず笑い合った。
「糸原、やったなあ。事起こしてくれてるやん」
「熊谷だってやばいよ。攻守で存在感溢れてるもん」
それぞれに感想を捲し立てつつ、大応援団とともに六甲おろしを合唱する。雄大で気持ち良い時間だった。
歓声の余韻の中で
九回表、守護神岩崎が登場した。先頭の代打田中に痛打を浴び冷や汗をかいたが、一打逆転の場面で細川が捉えたライナー性の当たりをショート熊谷がジャンピングキャッチし、ピンチを救う。
二塁手中野とともに守備での貢献度も計り知れない。
結局最後の打者ボスラーを見逃し三振で仕留め、阪神が五対四で逃げ切った。
「岩崎、冷や冷やさせるなあ。とにかく勝ったからよかったわ」
高瀬が大きく息を吐きながら勝利を噛み締める。
村木も安堵の表情でプラカップの最後の一滴を飲み干した。
井坪や中川、栄枝など、新しい若い戦力で臨んだこの日の試合。
抜擢された選手はそれぞれ存在感を示し、中野や熊谷など中堅選手が若い力をバックアップした。
スタンドを出ると、外の熱気が一気に肌を包んだ。ドーム内の冷房に慣れた身体に、夜でも残る暑さが重くのしかかる。
「井坪、初安打やったなあ」
「栄枝もリベンジ成功だし」
試合の余韻が胸にくすぶっていた。
井坪の初安打、栄枝のタイムリー、六甲おろしの合唱——
その響きが耳の奥でまだ鳴っていた。
人波に流されながら駅に向かう途中、村木がふと立ち止まった。
「そういえば高瀬、昇進の発表っていつだっけ?」
「来月や。なんで急に?」
村木はニヤッと笑って、小さな声で言った。
「次は俺の奢りだ。俺が昇進に勝ったら、な」
高瀬は振り返らずに歩き続け、手をひらひら振った。
「ほんなら負けへんで。楽しみにしとくわ」
改札で二人は別々の方向へ向かった。
高瀬は尼崎行き、村木は大阪市内行き。
電車の中で高瀬は思った。
今夜、村木と肩を並べて声を張り上げたこと。
そして改札口で交わしたあの言葉。
歓声が遠ざかっても、心のどこかでまだ村木と一緒にいる気がした。
競争相手と飲むビールが、いちばん苦くて――旨い。
本日の試合結果
スコアボード
チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安 | 失 |
中日 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 11 | 2 |
阪神 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | X | 5 | 9 | 0 |
責任投手
- 勝利投手:[ 阪神 ] ドリス (1勝0敗0S)
- 敗戦投手:[ 中日 ] 藤嶋 (1勝4敗1S)
- セーブ:[ 阪神 ] 岩崎 (1勝2敗25S)
コメント